★★★
トルコ。ベイコイで臨時教員をしているフランス人の男(ジャック・ドニオル=バルクローズ )が、休暇を過ごすためイスタンブールにやって来る。海岸で女(フランソワーズ・ブリヨン)と出会った彼は、車で送ってもらったお礼に彼女をパーティーに招待する。以降、2人はデートを重ねるのだった。女は男に隠し事をしており……。
のっけから映像と音楽が異質で、これがヌーヴォー・ロマンの映画版なのかと身構えた。まばたきひとつしない美女のアップを執拗に映したかと思えば、男が2階の窓から外を覗き見るカットを頻繁に挿入している。外には監視員みたいなグラサン男がいて、どうやら部屋の様子を気にしている様子。このように見る・見られるを意識した構図が多用されながらも、話は運命の女との出会いになだれ込んでいく。
本作は異国情緒が半端なくて、イスラム圏の見慣れない風景が幻想的な物語にマッチしている。といっても、トルコは政教分離の国で世俗化しているから、ガチのイスラム教国と比べるとマイルドだ。アジア的な文化を残しつつも、政治的には西欧に近い。女性は外出時にヒジャブを身に着けなくてもいいし、それどころか観光客向けにセクシーな衣装でダンスまで披露している。こうして見ると、イスラム圏って表向きは禁欲的でありながらも、その本質は性的な文化なのだと思うけど、それはともかく、こうした抜群の異国情緒がときに得体の知れぬ不気味さを醸し出していて、本作はロケーションが絶妙だと思う。これが欧米の見慣れた風景だったらまず成立しなかっただろう。映画において舞台の選定は重要だと実感した。
フィルムの編集で意外性を出すのが前衛映画の醍醐味である。そういう意味ではそれなりに満足できた。時系列を錯綜させるのは月並みではありながらも、どこか迷宮じみた印象を与えている。また、モブたちがマネキンのように突っ立ってるなか男が一人だけ動いているとか、カメラを左右に振ったら人物がドラスティックに移動していたとか、映像面でいくつか刺激を受ける部分があった。この映画、ファム・ファタールという枠組みはあくまで骨組みに過ぎず、メインディッシュは風変わりな映像表現にあると言える。
主要人物が交通事故で死んで終わるのって、僕は実存主義的結末と呼んでいるけれど、昔のフランス映画ってこのクリシェを使うことがホント多い。なぜ陳腐と分かっているのに多用するのだろう? その理由を関係者に問い詰めたい気分だ。