海外文学読書録

書評と感想

甘耀明『冬将軍が来た夏』(2017)

冬将軍が来た夏

冬将軍が来た夏

 

★★★

セレブの幼稚園で教諭をしている「私」の元に、死んだはずの祖母からトランクや机といった大量の荷物が送られてきた。その3日後、「私」は飲んだ帰りに自宅で園長の息子にレイプされる。死んだはずの祖母はトランクの中に身を潜めており、レイプ現場に居合わせていた。「私」は母親に言われるがまま、刑事告訴の手続きを進めていく。その後、「私」は家を出て、祖母と5人の老女、さらに1匹の老犬と共同生活をする。

 「じゃあこう言えばいいかな、物語はそれがいちばん止まりたいところで止まるのよ。でも人生はそうじゃない。人生はどうやっても終わりまで行くものなの。今日は終わり、一週間が終わり、一生が終わるまで続く。人生には結末があるけど、どの結末もすべていいとは限らない。でも記憶はいちばん美しいところで止まることができるし、いちばん美しいところで止まったものは、みんないい物語よ」(p.267)

これはなかなかの変わり種で、何と表現したらいいかよく分からない小説だった。同じ著者の『鬼殺し』は明確にマジックリアリズム作品と言えそうだけど、本作の場合はその辺が微妙で、現実から少しずれたワンダーランドというべき世界観になっている。ひとことで言えば、リアリズムとマジックリアリズムの間くらいのポジションというか。ただ、そういう奇妙な現実になっているのは、「私」が老女たちと行動を共にしているときくらいで、レイプや裁判といった出来事は紛れもない現実として「私」の前に現れている。本作は傷ついた「私」が奇妙な現実を通り抜けて人生が変わる、回復の物語と言えるかもしれない。LINEやフェイスブックに代表されるありふれた日常から離れて、老女たちと共に往生互助会というマネーゲームに関わったり、それが元で馬西馬西というヤクザに追われたり、冒険的な日常を送るところが何ともふるっている。本作が人生ではなく物語であることは上の引用で示唆されているけれど、確かに美しいところで止まろうという意思は感じられた。一生分の奇妙な体験をしつつも、「私」の人生はこれからも続いていく。たとえ曾祖母が死んでも、祖母が死んでも、そして母が死んでも、「私」は家族の記憶を保持しながら生きていくのだろう。でも、物語は一生の終わりまで書かず、美しいところで終わっているわけで、その辺の塩梅がいいと思った。

台湾にはけっこう日本文化が入ってきているようで、本作にはTOSHIBAのパソコンだったり、日産のGT-Rだったり、暴力ビデオ*1だったりが出てくる。また、「私」は日本旅行に夢中のようだし、レイプ犯もよく銀座に行ってるみたいだ。特筆すべきは、男の子がアニメの『HUNTER×HUNTER』【Amazon*2を見ているところで、なるほどアニメは世界共通語なんだなと思った。僕もわりと熱心にアニメを見ているほうだけど、確かにコミュニケーションツールとして大いに役立っている。Twitterで外国人とアニメの話をしたことが何度かあった。アニメは現代人の基礎教養と言えるだろう。あと、本作にはカップ麺を食べる場面があるのだけど、音を立てて麺をすすっているのが意外だった。そういう食べ方をするのは日本人だけだと思ってたよ。

翻訳には工夫が凝らされていて、客家語や閩南語の単語を原文で表記し、そこにルビを振るような形をとっている。本作は北京語をベースに、客家語や閩南語が多用されているという次第。これで思い出したのが最近読んだ『海上花列伝』で、この小説は会話文に呉語(蘇州語)が使われていることが売りになっていた。呉語文学の最高作品とまで言われている。ところが、翻訳では会話文が地の文と同じく標準語に訳されていて、原文の持ち味が発揮されていなかった。約50年前の翻訳である。仮にこれが現代で翻訳されていたら、会話文には何らかの工夫が凝らされていただろう。この辺に昔と今の翻訳観の違いが表れていて興味深い。昔はただ日本語で読めれば良かったけれど、今はそれだけじゃ駄目で、原文の味わいが重視される。現代の翻訳家は大変だなと思った。

*1:陵辱系アダルトビデオ。個人的にこういうのは苦手である。

*2:Amazonレビューは荒れているが、キメラアント編【Amazon】は傑作なので最後まで見るべきである。