海外文学読書録

書評と感想

韓邦慶『海上花列伝』(1894)

中国古典文学大系 (49)

中国古典文学大系 (49)

 

★★★

清朝末期。17歳の趙樸斎が、友人の張小村と共に職を求めて上海にやってくる。趙樸斎はおじの洪善卿に連れられて芸者屋に行き、半玉の陸秀宝と知り合う。一方、高官の王蓮生は芸者の沈小紅と懇意にしていたが、張蕙貞という別の芸者に心を移し、彼女に家を買い与える。怒った沈小紅は張蕙貞のところへ殴り込みに行き、彼女をぼこぼこにする。

それから一同は立ったりすわったりして、気の向くままに景色を愛でた。園内は若草が刺繍したよう、八重咲きの桃がようやく綻び、うぐいすは江南の春を催しているがごとくである。そのうえ天気はよく、おだやかな日曜日であったので、散歩する者あり、草を摘む者あり、水ぎわで宴を開く者あり、花を賞する者ありといった賑わい。車の音、馬のいななき、ひきもきらず三、四十台がつめかけておのおのそれぞれの建物の席を占めている。かんざしや帽子がゆらめき、人々は縦横に行きかいし、酒宴が終わればまた茶の用意がはじまるといったわけで、極楽世界の無遮会よりも、はるかに賑やかと思われた。(p.71)

清朝末期の上海花柳界を題材にした小説。特に主人公と言えるような人物はおらず、老若男女、多数の人物が入り乱れる群像劇になっている。登場人物は大雑把に言って客と芸者に分かれるけれど、誰が誰の馴染みなのか人間関係が錯綜しているし、また客同士、さらには芸者同士の繋がりもあるので、巻頭の主要人物一覧を何度も参照しながら読んだ。普通の小説よりも読むのに時間がかかったと思う。おそらく著者はしっかりした設計図を作ってから書いたのだろう。本作は一本筋の明快な物語ではなく、様々な人物の様々なエピソードが複雑に入り組んでいて、ひとつの構造物としてはけっこうな労作になっている。

正直、お世辞にも面白い小説とは言えないけれど、当時の上海の風俗を知る意味では興味深かった。周知のように、この時期の上海は欧米列強の租界になっている。清の時代なので男は辮髪・女は纏足だし、みんなやたらとアヘンを吸っているし、通貨の単位がドルだし、今まで読んできた中国古典文学とは一味違う感じ。登場人物が頻繁に麻雀をしたり、拳と呼ばれる勝負をしたりするところも印象的だ。特に拳については注釈がないので謎である。勝負には親がいて、複数回勝負をして、1回負けるごとに罰杯を飲む。僕はじゃんけんのことかと思ったけれど、あまり自信がない。ともあれ、国が傾いているのにみんな芸者遊びに興じていて、こいつらようやるわとちょっと呆れたのだった。

それにしても、これだけ人間関係にたくさんの金と時間を費やしているのは異常としか言いようがない。男たちは毎日のように芸者屋に通っては宴会や麻雀の日々を送っている。こんなことをして人生楽しいのだろうか? 思うに、現代と違って娯楽が少ないから、彼らは芸者遊びなんぞにうつつを抜かしているのだろう。今だったらアニメやゲームが代用品になるからね。いちいち他人と顔を合わせる必要がない。個人的には、こういう濃密な人間関係は苦手だ。何より面倒なのが、客と芸者の間に「情」が存在するところで、店の中だけで全てが完結しないところがしんどい。芸者は芸者で客が浮気をすると嫉妬するし、客は客で大枚はたいて芸者を身請けしようとするし、さらには恋の駆け引きみたいなものもあったりして、こいつら人間関係以外にやることねーのかと思った。この小説は概ね登場人物の末路に救いがなく、誰一人として幸せにならない。水商売の世界とはそういうものだという諦観が感じられる。

中国古典文学の大きな特徴は、登場人物の内面を描かないところだろう。19世紀末に書かれた本作でさえ、詳しい内面描写はまったくない。ただひたすら登場人物の言動を積み上げている。それでもけっこうなボリュームがあるので、なかなか読むのが大変なのだった。本作は清朝末期の風俗、とりわけ上海の花柳界について知りたい人にお勧めだ。昔の人がどんな生活を送っていたかというのは、洋の東西を問わず興味を引くものがある。たとえば、中国では婚礼や葬儀のときに爆竹を鳴らす習慣があって、しかもそれを請け負う業者までいるなんて、本作を読むまで知らなかった。清の時代を舞台にした小説は初めて読んだので、色々と新鮮に感じられた。