海外文学読書録

書評と感想

アンドレ・ジッド『贋金つくり』(1925)

★★

大学受験を控えたベルナールが家出をする。彼は母親の浮気によって産まれた不義の子だった。ベルナールは親友のオリヴィエのところに一晩だけ泊まる。その後、街で作家エドゥワールを見かけたベルナールは、彼が預けたスーツケースを盗んで中に入っていた日記を読む。エドゥワールは純粋小説『贋金つくり』を書こうとしており……。

今日までのところ、文学からは、悲壮といったようなものが、ほとんど忘れられていたように思う。小説は運命の蹉跌、運不運、社会的関係、情念や性格の葛藤などを取り扱ったが、人間の本質自身についてはなんら考えるところがなかった。

それにしても、劇を精神的の面に移しすえたのは、まさにキリスト教の努力によるものだった。だが、じつのところ、キリスト教的な小説というものがない。なるほど教化を目的とする小説は存在している。だが、それは、わたしのいうところのものとはなんの関係もあり得ないのだ。精神的な悲壮――たとえばあの聖書の《塩もしその力を失わば、何をもってかこれに塩すべき》という言葉を痛烈なものとさせたところのもの。わたしにとっては、そうした悲壮が重要なのだ。(pp.200-201)

河出世界文学全集(山内義雄訳『贋金つかい』)で読んだ。引用もそこから。

本作は著者が考える純粋小説らしいけれど、どこがどう「純粋」なのかよく分からなかった。ただ、19世紀的な物語から脱却しようという意図は見えていて、作中では明確な主人公を設定せず、数多の登場人物を複雑に錯綜させている。ストーリーが単線ではなく、複線で進行しているところが20世紀らしい。その一方、形式的にはまったく新しいというわけでもなく、古き良き書簡体やドン・キホーテ的メタ構造なども採用している。温故知新というか、新しい酒を馴染みの革袋に入れて飲ませているのだ。とりあえず、何か新しいことをやろうという気概は感じられた。

本作の特徴は、人間関係が複雑で全容を把握しづらいところだ。誰と誰が繋がっているのか、メモを取らないとまず理解できない。僕が読んだ文学全集には登場人物表が載っていたからだいぶ理解の助けになったけれど、これが文庫本だったら途中で匙を投げていただろう。全体像を把握しようと思ったら、登場人物のプライオリティに応じて末端部分を切り捨てるしかない。人間の本質とはその社会活動にある、と言わんばかりの複雑さに圧倒された。

作中ではエドゥワールを通して小説論を披露している。彼によると、小説とは現実が小説家に提供するところのものと、その現実から小説家が作り出そうとするところのものとの間の闘争にあるという。そして、事実から出発するのではなく、観念から出発するものこそが純粋小説なのだそうだ。これってつまりヌーヴォー・ロマンの精神ではなかろうか。本作がヌーヴォー・ロマンの作家に与えた影響って、本作そのものではなく、作中に書かれた小説論にあるのかもしれない。

本作でもっとも面白かったのがアルフレッド・ジャリの登場シーン。晩餐会で酔っ払った彼はピストルを持ち出し、周囲が驚くのも意に介さず人に向けて発砲している。幸い、弾は空砲だったため死人は出なかった。このシーンが主要人物に思わぬ波紋を投げかけていて、オリヴィエがデュルメールとあわや決闘というところにまで至っている。アルフレッド・ジャリトリックスターとして物事のきっかけを作ったのだ。このようにある人物の行動がまったく関係ない別の人物に影響を及ぼすところが、複線的な小説の醍醐味だろう。人間の入り組んだ関係性に迫ることが、人間の本質に迫るための一番の近道なのである。これはこれで意欲的な作品だったかな。