海外文学読書録

書評と感想

マリー・ンディアイ『ロジー・カルプ』(2001)

★★★

妊娠中のロジー・カルプが、6歳の子供ティティーを連れてカリブ海に浮かぶグアドループにやってくる。彼女はフランス本土での生活に限界を感じ、事業で成功している兄ラザールを頼ることにしたのだった。空港で待っていると、見知らぬ黒人の男が迎えにくる。やがて物語は彼女の過去へ……。

ジー・カルプという名の若い女が、アントニーの平穏で裕福さを隠した小さな通りを、手入れの行き届いた生け垣に沿って歩いていた。ロジーは、片手を柵の網目と葉の茂みに走らせながらマユミの木の生け垣に沿って歩いているロジー・カルプという名のこの若い女だった。自分がロジー・カルプであることを彼女は知っていた。いま穏やかな足取りで、アントニーの閑静な住宅街のよく刈り込まれた生け垣に沿って歩いているのは、ロジーでもロジー・カルプでもある彼女なのだ。(pp.145-146)

これはなかなか奇妙な小説で、登場人物のほとんどがまともじゃないところが印象的だった。ひとことで言えば、リアルな世界を微妙に歪ませたような感じ。旧来的なリアリズム小説がアナログ写真だとすると、本作はデジタル写真といったところで、現代文学は人物の心の襞にまで注意を払って解像度をあげる反面、様々なフィルターをかけて全体像をぼかしている。本作の登場人物はそういう胡乱なフィルターがかかっていて、結果的には奇怪な人物が跋扈するワンダーランド的な小説になっていた。もちろん、フランスではこれがリアルだという反論があるかもしれない。みんながみんな自己中心的で、他人を収奪することに躊躇いがなく、場合によっては殺人まで犯す、そんな人間で溢れているのかもしれない。ただ、今まで読んできたフランス文学にはここまで違和感をおぼえなかったので、やはりこれはまともじゃないのだと推測できる。

とりわけ気になるのが親子関係のドライさだ。ロジーもラザールも親が敷いたレールから外れてしまうのだけど、そこを他人事のように冷たく突き放されてしまう。かと思えば、ラザールが事業を始めようとグアドループに移住するとき、両親もちゃっかりついていったりする。その際、ロジーだけはのけものに。さらに、ロジーはロジーで、具合の悪い息子を放置して瀕死にさせるのだった。これを読むと、家族っていったい何なのかと思う。フィクションでよく見る円満な関係は実はファンタジーで、現実は本作ほどではないにせよ、どこか歪なのではないか。親は親のエゴで子供を産み、子供は子供で親から利益を引き出そうとする。無償の愛なんていうのは嘘っぱち。親子も兄弟もそれぞれ他の家族を収奪の対象と見做している。

これを現代日本にまで敷衍すると、Twitterでよく見かける毒親問題に及ぶのではなかろうか。というのも、Twitterでは過去に虐待を受けた人たちが、親への恨み節をちょくちょくツイートしている。たとえば、子離れできない母親の過干渉だったり、習い事を過剰にやらせる教育虐待だったり、子供の自尊心を奪う罵詈雑言だったり。そういうのを受けて育った人たちが一定数存在している。これらは結局のところ親のエゴが強すぎるから起きているのであり、本人に自覚はないにせよ、子供が収奪の対象になっているわけだ。やはり無償の愛なんていうのは嘘っぱち。現実は現実で地獄なのである。そう考えると、本作は意外とリアルなのかもしれない。