海外文学読書録

書評と感想

フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』(1973)

★★★

第二次世界大戦の最中。大リーグにはアメリカン・リーグナショナル・リーグの他に愛国リーグが存在していた。そこに所属する球団マンディーズは、ホームスタジアムを持たない根無し草であり、酔っぱらいの一塁手や片脚の捕手など、癖のある選手を擁しながら全米野球史上の最低記録を樹立している。チームは精神病院の患者たちとエキシビジョンマッチをしたり、小人を入団させて一世を風靡したりするのだった。

「でも――あんたはアメリカを滅ぼすつもりじゃないか!」

アメリカだって?」とガメシュは微笑した。「ローランド、アメリカはきみの何なのだ? また、わたしや、客席にいる何万人もの人の何なのだ? アメリカというのは人をこき使うために使われる言葉だよ。アメリカは人びとの阿片なのさ。ローランド――わたしがきみのようなスターなら、そんなものは気にしないがね」(pp.480-481)

これはまたぶっ飛んだコメディだった。荒唐無稽な筋立てが特徴的で、障害者やユダヤ人、アフリカの原住民など、ポリティカル・コレクトネスに反するネタを織り交ぜつつ、最後には共産主義絡みのスパイ事件にまで話が飛躍している。本作といい、『ユニヴァーサル野球協会』【Amazon】といい、野球を題材にしたアメリカ文学は奇妙奇天烈という印象だ*1。本作の原題は「The Great American Novel」であり、プロローグでは『白鯨』【Amazon】と『緋文字』【Amazon】と『ハックルベリー・フィンの冒険』【Amazon】の3作を俎上に載せている。書き出しも『白鯨』のパロディだ。20世紀において「The Great American Novel」を書く――それは国技である野球を書くこととイコールになるのだろう。仮に日本文学において「The Great Japanese Novel」を書くとしたら、それはきっと相撲を題材にしたものになるはずだ。僕の知る限り、相撲を題材にした小説は『大相撲殺人事件』【Amazon】と『雷電本紀』【Amazon】の2作しかない(漫画はいっぱいあるんだけどね)。誰か書かないだろうか? こういう小説はもう時代遅れとはいえ、一読者としては日本版の「Great Novel」を読んでみたい気がする。

それにしても、障害者やユダヤ人、アフリカの原住民など、ここまで世間の倫理観を笑いのめした小説も珍しいのではなかろうか。現代社会だと、ポリティカル・コレクトネスは他人を叩くための棍棒に成り下がっているから、本作みたいな小説が出たら格好の標的にされそうだ。SNS時代になって顕著になったのは、被害者の皮を被りながら加害者と目した相手に言論の暴力を振るうことである。あいつは女性差別をしたと言っては棍棒で殴りつけ、あいつはマイノリティ差別をしたと言っては棍棒で殴りつける。それも寄ってたかって殴りつける。アメリカでトランプ政権が生まれたのも、こういう正義の暴走に嫌気が差したからだろう。結局のところ、言論にせよ肉体にせよ、暴力を振るう者には必ずその報いが返ってくる。トランプ政権は、ポリティカル・コレクトネスを濫用した人々に対する罰だと言えよう。世界が不寛容になっていってるのは、それを望まない人たちの不寛容な言論が原因であり、ポリティカル・コレクトネスを信奉する人たちはその辺を反省する必要がある。行き過ぎた正義は、その反動として巨大な悪を生む。巻き込まれるほうとしてはたまったものではない。

アメリカ文学は、様々な作家が様々な形でアメリカを表現しているから好きだ。今年翻訳出版された小説だと、『ビリー・リンの永遠の一日』『地下鉄道』がその代表例になる。通説の通り、アメリカの作家はアメリカのことを語りたがる。もっとアメリカのことを知りたい、もっとアメリカ文学を読んでみたいと思った。

*1:ちなみに、『ユニヴァーサル野球協会』は野球カードに熱中する男の話である。