海外文学読書録

書評と感想

コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(2016)

★★★

ジョージアのランドル農園。そこで奴隷をしている15歳の黒人少女コーラは、母親の失踪によって周囲から孤立していた。そんななか、シーザーという新入りの奴隷から一緒に逃亡するよう誘われる。2人は白人の協力者の手引きにより地下鉄道で脱出、サウス・カロライナにたどり着く。一方、農園側はリッジウェイという奴隷狩り人に彼らを追わせていた。

目が覚めたときもまだ、鉄の馬は蹄を轟かせてトンネルを駆け抜けていた。ランブリーの言葉が思い出された――この国がどんなものか知りたいなら、わたしはつねに言うさ、鉄道に乗らなければならないと。列車が走るあいだ外を見ておくがいい。アメリカの真の顔がわかるだろう。それは最初から冗談だった。旅のあいだ窓の外には暗闇しかなかったし、これからもずっと暗闇だろう。(p.331)

ピュリッツァー賞、全米図書賞受賞作。

実は予備知識なしで読んだので、タイトルから『トレインスポッティング』【Amazon】みたいなのを想像していた……。黒人奴隷が題材の小説なら『地図になかった世界』という傑作*1があるのに今更どうするのだろうと思っていたら、歴史をSF的な手法*2で大胆に改変していて、こういうやり方もあるのかと感心したのだった。異世界風というか、パラレルワールド風というか、とにかく我々の知ってるアメリカとは微妙に細部が違っている。思うに、歴史小説の醍醐味は現実からどれだけ「ずれ」を作るか、その匙加減にあるのだろう。奴隷を逃がすための地下鉄道なんか明らかにオーバーテクノロジーだし*3。さらに、コーラはサウス・カロライナやノース・カロライナといった複数の州に滞在するのだけど、そこの土地の描き方がまるでディストピアで、歴史的事実とのずれによって奴隷制の理不尽さを炙り出すところが何とも言えない*4。白人たちはなぜここまで他者の権利を蹂躙することができるのだろう? ユートピアに見えたサウス・カロライナの本性が暴かれる場面を読んで、様々な国をアイロニカルに描いた『キノの旅』【Amazon】を連想した。19世紀になってもまだこんな悪どい制度を容認しているなんて、アメリカは狂ってるとしか思えない。

「おれの主人は言った。銃を持った黒んぼより危険なのは、本を読む黒んぼだと。そいつは積もり積もって黒い火薬になるんだ!」(p.343)

個人的にぐっときたのが、上に引用した御者(コーラがインディアナの図書館で出会う)のセリフである。本を読まない人間が支配者にとって都合がいいのは、古今東西変わらない事実だ。読書には既存の価値観を揺るがし、視野を広くする効果がある。もし僕も本を読んでいなかったら、現在の秩序に何の疑問も抱かず、奴隷として一生を終えていただろう。あるいは、上から押し付けられた価値観に押し潰されて自殺していたかもしれない。ブラック企業が幅を効かせてたり、社会がだんだん不寛容になっていったりするなか、読書は精神の自衛のために欠かせない行為だ。この世界を生き延びるための武器を本から得ている。社会に馴染めなくて困っている人、または見えないプレッシャーに追い詰められている人、そういう人たちにはぜひ図書館に行くことをお勧めしたい。そこには我々の蒙を啓かせてくれる様々な書物が待っている。僕もこれ以上不幸な人間を増やさないために、このブログで読書の大切さ、あるいはその楽しみを訴えていこうと思う。現代社会で生きづらさを抱える人たちが、少しでも楽になれるようにと祈っている。

*1:柴田元幸レアード・ハント『ネバーホーム』の訳者あとがきで、21世紀に書かれた最高のアメリカ小説に本作を挙げていた。僕もまったく同意見である。

*2:これをSFだとは認めたくないが、他に上手い表現がない。個人的には、『ガールズ&パンツァー』【Amazon】をSF扱いするのにも反対している。

*3:そういえば、作中に血液検査が出てきたが、この時代にそんなものがあったのだろうか? 軽く調べてみたが分からなかった。

*4:どうやらこれは『ガリヴァー旅行記』【Amazon】を参考にしているようだ。