海外文学読書録

書評と感想

黒沢清『カリスマ』(1999/日)

カリスマ

カリスマ

  • 役所広司
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★★★

刑事の薮池(役所広司)が人質立てこもり事件で犯人と人質を両方死なせてしまう。上から休暇を取らされた彼は車で旅に出て森に迷い込む。そこではカリスマと呼ばれる一本の木を巡って人々が争っていた。カリスマの根には毒があり、周囲の木を枯らせてしまうという。中曽根(大杉漣)が伐採を主張するのに対し、桐山(池内博之)はカリスマを守ろうとする。

みんなもう忘れているが、90年代は終末が来ることをうっすら予感された時代だった。当時生きていた人でノストラダムスの大予言を意識しない者はいなかった。だからこそ地下鉄サリン事件が起きたのだし、『新世紀エヴァンゲリオン』が作られたのである。それらはセカイ系的な想像力の源となった。この世界はもうすぐ滅んでしまう。そういった気分は米ソ冷戦の時代よりも遥かにリアルだった。だから無事2000年代に突入したときはみんな拍子抜けした。安心したのではなく拍子抜けしたのである。何も起きなかったことにみんながっかりした。そして、そういう経験があるからこそ本作は懐かしいし、古傷に触れられるようなもどかしさがある。見ていてちょっと気恥ずかしかった。

カリスマと呼ばれる木は生態系を乱す。そのままにしておくと森の木をすべて枯らしてしまうから。カリスマを守るか、森を守るか。この二者択一がトロッコ問題のように横たわっている。通常の倫理だったらカリスマを伐採して森を守るだろう。一本の木よりも森全体というのは筋が通っている。しかし、桐山の考えは違っていた。彼は強い者が勝つのは当然という価値観を抱いており、カリスマが周囲の木を枯らすのは自然の法則だと主張している。弱い者は滅びるべきなのだ。生命は生きようとしたら他を殺すしかない。それは人間だって同じだ。桐山の考え方はナチズムに近く、自由は病気、健康な人間は服従を望むと言い放っている。率直に言えば、彼は狂人なのだろう。弱肉強食を掲げるところは後に世界を席巻する市場原理主義、すなわち新自由主義の萌芽が見て取れる。

桐山の影響を受けた薮池はあるがままという境地に達する。森の中の木はみな平凡であり、それぞれ生きようとしている。ひとつとして特別なものはない。カリスマも含めすべてを共存させようという考え方だ。桐山に比べると民主主義的な価値観に寄っているものの、カリスマ伐採派に比べると日和っている感は否めない。トロッコ問題に対してメタな回答を出しているところはまるで『HUNTER×HUNTER』【Amazon】のようだ。それが真の解決だとはとても思えない。薮池の考え方は一種の理想主義であり、実現不可能な考えを提示しているところはリベラルを彷彿とさせる。

捻っているのは薮池がもう一本のカリスマを爆破し、ある男を射殺することで人質立てこもり事件のトラウマを克服したことだ。人質と犯人、両方を助けることはできないと悟ったのである。これによって藪池は回復して森を出ることになったが、その矢先、遠方の都市部ではハルマゲドンが起きている。これが90年代の日本人が期待する世界のヴィジョンなのだった。僕にはこのオチがどうにも気恥ずかしいのである。