海外文学読書録

書評と感想

西川美和『ディア・ドクター』(2009/日)

★★★

山間の小さな村。村で唯一の医者だった伊野治(笑福亭鶴瓶)が失踪する。失踪の二ヶ月前に研修医の相馬啓介(瑛太)が赴任してきており、また、ベテラン看護師の大竹朱美(余貴美子)が伊野の仕事を支えていた。失踪のきっかけとなったのは伊野が未亡人の鳥飼かづ子(八千草薫)を診たことで……。

『蛇イチゴ』の宮迫博之といい、本作の笑福亭鶴瓶といい、この監督は映画に合わせて絶妙なキャスティングをするから感心する。2人の本業はお笑い芸人と落語家だが、俳優としてここまで優れているとは思いもよらなかった。今まで見たところ、シチュエーション作りはベタだし、キャスティングもテレビ屋的なミーハーさを感じるが、映画は含意に富んでいてテレビとは一線を画している。これって奇跡ではなかろうか。是枝裕和もそうだが、テレビに接近しつつテレビに飲まれないところがいい。

過疎地域に求められる医療は流れ作業の診断よりも親身になってくれる人柄で、伊野は後者に秀でていたから村に溶け込めていた。しかし、伊野にとってそれは反射的な行動に過ぎない。来た球をただ打ち返しているだけである。愛というよりは本能的な倫理観に従ってそれをしていた。面白いのは伊野の経歴である程度の医療行為ができてしまうところだろう。彼は医大を出てないどころか、10年間ペースメーカーの営業をしてきただけである。にもかかわらず、針を刺したり胃カメラを操作したりができてしまう。診断については、どうやらベテラン看護師の大竹が相当な部分関与していたようだ。彼女はおそらく伊野が無資格であることを見抜いていた。伊野がボロを出さなかったのも、彼女が暗黙の了解で協力してくれたからである。この村では伊野が医者の役割を果たしていることで調和がとれていた。その調和が崩れるきっかけとなるのが、彼が村に溶け込めていた理由である本能的な倫理観であるところが面白い。

伊野が陥った罠は地元と密着しすぎていたところで、正規の医者だったら患者の無茶な頼みを聞くことはなかっただろう。現代の医者はインフォームドコンセントを叩き込まれている。医者には医者の倫理があり、それは目先の人情に流されるものではない。伊野は自身の本能的な倫理観に従ったことで窮地に陥った。彼が正規の医者のように患者の頼みを突っぱねていたら立場を失うこともなかったのだ。その意味で諸悪の根源は無茶なことを頼んだ鳥飼かづ子だと言える。彼女が自分のわがままに伊野を巻き込んだのだから。もちろん、それを聞いた伊野も自業自得だが、僕には患者が患者の分をわきまえなかったところが引っ掛かる。結局、流れ作業の診断をしていたら目先の人情に流されることもなかった。この辺が痛し痒しで、異なる倫理の間でバランスを取るのは難しい。伊野の態度では遅かれ早かれ生活が破綻していたはずだが、今回は必要以上に親身になったことが仇になった。村に溶け込めていた性質が原因で村を出るはめになる。この構図が皮肉だった。

国家や宗教も本質的にはペテンだが、上手く回っているうちは糾弾されることはない。気持ちよく騙されているうちが華で、我々の世界はそういった狡さによって調和がとれている。