海外文学読書録

書評と感想

成島出『孤高のメス』(2010/日)

★★★★

1989年。さざなみ市民病院に海外帰りの医師・当麻(堤真一)が赴任してくる。この病院では、慶応派閥の外科医たちがやる気のない医療行為をしていた。当麻は第二外科医長に就任、早速難手術をこなして評価を上げる。看護婦の浪子(夏川結衣)は、そんな当麻に感動するのだった。

原作は大鐘稔彦の同名小説【Amazon】。

生命倫理における理想主義的な映画でなかなか良かった。臓器移植が当たり前の現在では、この部分の当否は問題にならない。脳死は人の死とされ、家族の同意さえあれば臓器を摘出していいことになっている。ただ、個人的にはラザロ徴候が気になっていて、これは脊髄反射ではなく、生命反応ではないかと疑っている。患者は痛みを感じているのではないか。

とまあ、そういう懸念はあるにせよ、本作は人の命をめぐる哲学的な問題提起をしていることに変わりない。すなわち、人の命を救うためなら法を破ってもいいのか? という問題だ。

当麻が法を破って臓器移植を決行したら犯罪者になる。そうなったら医師免許が剥奪され、今後多くの命が救えなくなってしまう。これは社会にとって大きな損失だ。できるだけ多くの命を救うため、法に従って目の前の命を見捨てるしかない。これは功利主義の考え方である。

それに対し、法を破ってでも目の前の命を救うことは正しい。損得勘定を考えないのが医師としてのア・プリオリな責務であり、当麻は臓器移植を決行すべきである。たとえ医師免許が剥奪されようとも、目の前の命を見捨てるべきではない。これは定言的な考え方である。

我々はどちらの立場を取るべきなのだろう? この選択においては、法の正しさは問題にならない。医師にとってはただの足枷である。しかし、それゆえに大きな哲学的命題になっているのだ。後に控える多数の命と、目の前にあるひとつの命。功利主義の立場を支持するのか、それとも定言的な立場を支持するのか。本作では後者の立場を取り、結果的には上手くいった。当麻は犯罪者にならず、医師免許も剥奪されずに済んだ。けれども、現実ではこう上手くいくとは限らない。普段から思考実験しておく必要がある。

それにしても、医療ドラマって貴種流離譚の形式を踏むことが多いけれど、これってどういうことなのだろう。天才エリートに対する憧れがあるのだろうか。憧れといえば、浪子が当麻に向ける思いはそのまま観客と同じものになっていて、すんなりドラマに入り込むことができた。日記による回想形式がばっちりはまっている。それと、市民病院の寂れた雰囲気がいい。地方ってどこもあんな感じだと思う。