海外文学読書録

書評と感想

マリオ・バルガス=リョサ『シンコ・エスキーナス街の罠』(2016)

★★★

ペルーの首都リマ。大富豪のエンリケが、ゴシップ誌の編集長ロランド・ガロから2年前の乱交写真を渡され、雑誌に投資するよう脅迫される。エンリケは友人の弁護士ルシアノに相談する。一方、エンリケの妻マリサとルシアノの妻チャベラは、密かに同性愛を育んでいた。さらに、元コメディアンのファン・ペイネタは、恨みのあるガロに対してアンチ活動をしている。エンリケがガロの脅迫をはねつけた結果、雑誌に乱交写真が掲載され……。

「興味本位というのはこの世にある最も普遍的な悪徳です」と小男は甲高くて気取った声で、ゆっくりと顎を動かしながらエンリケから目を離さずにもったいぶって言った。(p.81)

著者がアルベルト・フジモリ政権について書いた意味は大きい。しかし、作品を論じるにあたってテクスト外の要素を持ち込むのはあまり好ましくないだろう。なので、ここでは敢えて触れないでおく。

イエロー・ジャーナリズムというのはどこにでもあるようで、本作のロランド・ガロもその一翼を担っている。著名人のゴシップを嗅ぎ回る実に醜悪なジャーナリズムだ。けれども、それが最も売れるジャーナリズムなのだから複雑である。大衆はゴシップを望んでいる。そして、ジャーナリストは大衆の需要を錦の御旗にしてゴシップ記事をばらまいている。それだけならまだしも、本作のガロは脅迫の手段にまでしているのだから救いようがない。乱交写真を載せられたなくなかったら俺の雑誌に投資しろ、と迫っている。こういう堕落したジャーナリズムを止めるにはどうすればいいのか。大衆の意識を変えるのが理想だけど、それは到底無理な話だろう。好奇心は人間に組み込まれた本能なのだから。従って、ジャーナリスト一人一人に自覚を持たせるのが手っ取り早い。ゴシップは悪だという職業倫理を叩き込む。でも、それだって現実的ではない。金や権力が絡むと、大抵の人間は悪に染まってしまう。

本作の面白いところは、政治権力がジャーナリズムと結託しているところだ。ゴシップ誌を率いるガロは、アルベルト・フジモリの側近と結びついていた。政治権力が子飼いのジャーナリストを使って、政権に反対する人たちを批判させている。さらに、ジャーナリストが意に沿わなかったら、事件をでっちあげて殺害しているのだから驚きだ。本作の時代がつい20年前であることに留意されたい。ペルーでは最近までこういう話にリアリティがあった。民主主義が当たり前という時代に、昔ながらの腐敗した構造がまかり通っていたのである。それもこれも政情が不安定なラテンアメリカならではで、世界はまだまだ発展途上なのだと思った。

しかし、完全にジャーナリズムが死んでいるのかと言えばそうではなく、終盤で意外な展開を見せるのだから侮れない。結局のところ、巨大な権力に立ち向かうには、個人個人の勇気が重要なのだ。脅されても屈しない。ペンの力を信じて戦う。曲がりなりにもジャーナリズムは第四の権力を担っているので、各人がそれを自覚するのは大切なことである。本作の結末はいささか出来すぎだけど、こういう物語も世の中には必要なのだろう。件の人物がゴシップ番組で稼いでいるところがまた皮肉で、清廉な人物が必ずしも大事を成し遂げるわけではないのだと笑いたくなる。