海外文学読書録

書評と感想

フランソワ・トリュフォー『アントワーヌとコレット』(1962/仏)

二十歳の恋(字幕版)

二十歳の恋(字幕版)

  • ジャン=ピエール・レオ
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★★★★

17歳のアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)はレコード会社に勤務して一人暮らしをしている。かつては家出を繰り返して少年鑑別所に入っていた。そんな彼はクラシック・コンサートの会場で同年代の少女コレット(マリー=フランス・ピジエ)と出会う。アントワーヌは彼女と家族ぐるみの付き合いをするが……。

『大人は判ってくれない』の続編。

『二十歳の恋』というオムニバス映画の一編で尺は30分である。このオムニバスにはフランソワ・トリュフォーの他に、レンツォ・ロッセリーニ、石原慎太郎、マルセル・オフュルス、アンジェイ・ワイダが参加しているが、プライム・ビデオにはトリュフォーの短編しかなかった。現在はプライム・ビデオのKADOKAWAチャンネルで見ることができる(他のトリュフォー作品も)。

男女のすれ違いを描いているが、男からすると恋愛に至るまでの間合いは難しいものだと痛感する。というのも、相手はフレンドリーだし、家族ぐるみの付き合いがある。向こうも自分に対して好意を抱いているのではないか。アントワーヌは映画館で強引にキスを試みるも、コレットに拒絶されてしまう。コレットにとってアントワーヌは男友達の一人でしかなかった。こういうのはよくある勘違いだが、男とは思い込みが激しく勘違いする生き物である。女が少しでもやさしくしてくると、自分に好意があるはずだと錯覚してしまう。アントワーヌのようなイケメンですらその罠に陥っていた。こういった男性心理は洋の東西変わらないようで安心する。

アントワーヌがコレットの近所に引っ越してきたのにはぞっとした。わざわざコレットのアパートの向かい側に部屋を借りている。コレット一家は歓迎しているが、日本でこれをやったら気持ち悪がられるだろう。下手したらストーカーである。向かい側に引っ越すのは人として一線を超えている。フランス人は人間関係の距離感がバグっていてびっくりする。

アントワーヌはコレットにキスしようとして拒絶されたが、これは事前に相手の意思を確認しなかったからだ。コレットはフレンドリーだし、意思を確認しなくても自分のことを好いているだろう。そう読んだつもりが実は外れていたのである。この失敗を踏まえると、告白という文化は自由恋愛において合理的だと思う。言葉によってお互いの好意を確認し、キスやセックスなどの合意形成をする。男女関係は間合いが難しいからこそ、言葉による契約が重要になるのだ。恋愛を遊戯と捉えるなら野暮なことこの上ないが、事故を起こさないためにも告白は選択肢に入れてもいいような気がする。

本作を見て横長の画面は改めていいものだと思った。レコード会社で仕事をするシーン、オーケストラが演奏をするシーン。横長の画面は群衆を捉えるのに適している。人間は重力に縛られて生活しているから縦方向の距離はそんなに必要ないのだ。たまにスタンダードサイズに拘っている監督がいるが、その美学は時代が新しくなればなるほど理解できなくなる。まあ、小津安二郎はいいと思うけど。