海外文学読書録

書評と感想

ジャン・ルノワール『ランジュ氏の犯罪』(1936/仏)

ランジュ氏の犯罪

ランジュ氏の犯罪

  • ルネ・ルフェーブル
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★★★★

仕事の合間に冒険小説を書いているランジュ(ルネ・ルフェーヴル)が、出版社の社長バタラ(ジュール・ベリー)に原稿を持ち込む。契約書にサインしてパルプ雑誌に連載することになった。ところが、会社は資金繰りが悪化して火の車にある。切羽詰まったバタラは高飛びする。一方、残された従業員は出版社の再建に取り組む。ランジュは洗濯女ヴァランティーヌ(フロレル)と恋仲になり……。

フィルム・ノワール。日本では劇場未公開のようだ。

シリアスな犯罪劇というよりは、犯罪劇を名目にしてフランスの庶民を画面上で再現したかったように見える。19世紀のフランス文学みたいというか。みんな明るく生き生きとしていて、圧倒的な「生」の肯定に溢れているところが眩しい。画面はモノクロだから確かに暗いが、物語は全然暗くないし、登場人物に何か深い陰影があるわけでもない。『ゲームの規則』に見られた騒々しさが既に萌え出ていて、事後を描いたオープニングがなかったら殺人が起きるなんて予想もつかないくらいである。最初にランジュとヴァランティーヌの逃避行を置いたのは、劇中で殺人が起きることの予告なのだろう。これがあるから観客は決定的瞬間が訪れるのを待ちわびることになるのだ。ランジュはいったい誰を殺したのか。また、動機は何なのか。そのようなことを頭の片隅に入れながら、我々は事の顛末を見守ることになる。

キャラクターとしてもっとも濃いのが出版社の社長バタラだ。高級なスーツに身を包んだ彼はけっこうなおじさんである。にもかかわらず、若い女を見たら所構わず口説きまくっている。そして、中小企業の経営者らしく妙に図々しい。ランジュに対しては契約書で罠にはめているし、自身が高飛びする際は知人から金を借りようとしている。彼は陽気な性格をしているが、周囲のことは利用すべき道具としか思ってないのだ。他人の利益を掠め取るバタラは確かにクズである。しかし、それは悪党と呼ぶほど悪辣でもなく、あくまで世知に長けた中年男性といった趣だ。生き馬の目を抜く世界で必要なマリーシアを備えているのである。人生というゲームを有利に進めるための狡猾さ。それが持ち前の愛嬌と表裏一体になっている。事の顛末は確かに自業自得だし、あの状況なら殺されても仕方がないが、しかし彼は悪党ではなかった。その正体はただただ強欲なハゲタカに過ぎない。本作は彼の人物像が際立っていた。

殺人については最近起きた新宿タワマン刺殺事件を連想した。新宿のタワーマンションに住む25歳の女性が、51歳男性に刺殺された事件である。男性は愛車を売って一千万円以上を女性に貢いでいたが、女性からはストーカー扱いされていた。男性は女性のインスタライブで悪く言われているのを見て犯行に及んだようである。この事件、今のところは頂き女子の文脈で理解されているが、実際のところはまだ分からない。裁判でおいおい明らかになっていくことだろう。ともあれ、男性の犯行はいわゆる自力救済である。せっかく愛車を売って一千万円貢いだのに、それに見合った好意が返ってこなかった。法律では貢いだ金は戻ってこない。だったら暴力で解決しよう。結果的に男性は取り返しののつかないことをしてしまった。そして、本作の殺人もそれに類似している。法の不利を暴力によって覆したのだ。我々の手には自力救済の最終手段として暴力がある。新宿タワマン刺殺事件と本作は、そのことをまざまざと思い知らせてくれる。