海外文学読書録

書評と感想

荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』(2004-2011)

★★★

1890年。興行主のスティーブン・スティールが総距離約6000kmに及ぶ北米大陸横断レースを開催することになった。多数の参加者の中には、鉄球使いのジャイロ・ツェペリや下半身不随のジョニィ・ジョースター、天才ジョッキーのディエゴ・ブランドーがいる。ジョニィはジャイロが身につけた回転の秘密を探るため、彼の後をついていくことになるが……。

全24巻。

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン』【Amazon】の続編。

一巡した世界を舞台にしながらも、血統と因縁の物語を変奏していて面白かった。第1部から第6部まではジョースター家の血統の物語であり、ディオとの因縁の物語である。一方、本作で血統を担うのはジャイロであり、また、因縁はちょっと捻った形で出てくる。基本的にはジャイロがジョニィの師匠みたいなポジションになるのだけど、しかしジャイロが完璧かと言えばそうでもなく、ジョニィから「受け継いだ者」ゆえの欠点を指摘される。ハングリーさにおいてはジョニィのほうが上で、なおかついざというときの決断力もジョニィが勝っていた。目的のためなら人殺しも厭わない。それがジョニィである。

そもそもジャイロに甘さが残るのはレースに参加した動機からも明らかだろう。ジャイロは子供の命を救うために参加しているのである。ほんの偶然から国家の罪人にされてしまった子供。そんな子供をレースで優勝して恩赦によって救う。それは代々処刑人として国王に仕えるツェペリ家の規範から外れていた。しかし、間違いなく道徳的には正しい行為である。動機を考えればジャイロは正統派のヒーローだけど、この過酷な西部劇の世界ではエゴイズムの強いほうが優勢だ。そして、そのエゴイズムを担うのがジョニィであり、だからこそ彼が最後まで生き残る。

ジョニィはマイナスをゼロにしたいという強烈な欲求を抱えており、それゆえに「遺体」の収集にのめり込む。目的を達成することで救われると思い込んでいた。そのためには命を懸けることも辞さない。彼の動機は徹頭徹尾エゴイズムである。そして、一巡した世界においても最後に立ち塞がるのはディオだった。黒幕の大統領を倒した後にディオが出てくるのはまさに前世からの因縁で、こうして血統と因縁の物語に回帰したのは大きなサプライズである。しかも、恐竜を使役するスタンドから時を止めるスタンドに変化しているのも心憎い。このディオもご多分に漏れずエゴイズムの権化で、終盤で繰り広げられるエゴとエゴのぶつかり合いは爽快である。ディオとのバトルは本番を終えた後のボーナストラックといった趣で面白かった。

スタンドバトルは例によって分かりにくい。この分かりにくさは第5部から始まっていて、以降第6部・第7部と分かりにくさがエスカレートしている。今回カラー版で読んだから比較的マシだったけれど、もしモノクロ版で読んでいたら途中で投げ出していたかもしれない。

第7部では「幸運」がモチーフとして貫かれていて、ポコロコがレースで優勝したのは幸運ゆえである。そして、大統領が「遺体」を収集するのも、アメリカに幸運を引き寄せて不幸を遠くの誰かになすりつけるためだった。この「幸運」もジョジョシリーズではちょくちょく出てくる要素で*1、作者の人生観が垣間見える。やはり人の生き死には運次第ということだろうか。

*1:第3部の承太郎が幸運ゆえにボインゴの予言を撥ねつけるのが印象深い。