海外文学読書録

書評と感想

水上悟志『惑星のさみだれ』(2005-2010)

★★★★

18歳の大学生・雨宮夕日が、喋るトカゲによってトカゲの騎士に選ばれる。彼は姫である朝日奈さみだれの従者として魔法使いが生み出した泥人形と戦うことになった。魔法使いの目的は、宇宙に浮かんだ巨大なビスケットハンマーによって地球を破壊すること。そしてさみだれの目的は、ビスケットハンマーから地球を守りつつ、最後に自分の手で地球を破壊すること。従者は全部で12人おり……。

全10巻。

キミとボクの共犯関係を提示しながらもそこに閉じるわけではなく、2人が様々な経験を経て成熟していく。セカイ系ど真ん中の設定でありながらも、セカイ系と心中しない姿勢が良かった。SNSでは20年代になってもゼロ年代文化に固執する人たちがいて、彼らは『オトナ帝国の逆襲』【Amazon】に出てきたイエスタディ・ワンスモアを彷彿とさせる。僕はその手の輩を見るたびに「大人になれ」と言いたくなる*1。しかし、インターネットによって老若男女が繋がれるようになった現代では誰も大人になることなんてできない。ネットに繋いだら最後、皆が皆流行のコンテンツを追い求め、SNSで話題を共有する。そういった世界では老いも若きも画一的なアドレセンスに還元されてしまうのだ。大人になるにはネットから離れるしかない。

本作が発表された当時はここまで事態は進行していなかったものの、セカイ系の設定を用いながら「成熟」を描いた功績は大きいと言えるだろう。当時の読者は本作を読んで横っ面を張られた気分になったのではないか。キミとボクの関係に閉じてはいけない。みんな思春期を経て大人になるべきだ。本作は子供から大人への変化を丹念に描いたところが素晴らしく、この世界もまだまだ捨てたものではないと思う。

さみだれが自分の手で地球を壊したいのは、メンヘラ女が「みんな死ねばいいのに」と叫ぶのと同じ動機である。自分に未来がないからそうしたいのだ。病弱で家族仲も悪いさみだれにはこの世界に居場所がなかった。さみだれは天真爛漫のようでいて内心ではどす黒い闇を抱えている。そして、そんな彼女に仕える夕日は「理解のある彼くん」だ。夕日は夕日で祖父にまつわるトラウマがあり、さみだれに協力して世界を壊したいと思っている。つまり、セカイ系によくある「キミとボク」の関係は、イコール「メンヘラ女と理解のある彼くん」の関係なのだ。姫のキミを騎士のボクが支える。自分が生きづらいからといって世界を壊すなんて一般人からすれば困惑するけれど、メンヘラにとってはそれがリアルなのである。自分を不幸にしたこの世界を壊したい。全人類を巻き込んで心中したい。それは近年流行っているジョーカーたちの拡大自殺であり、社会問題として顕在化している。

セカイ系とは思春期に肥大しきった自我の表象と言えよう。だからキミとボクの問題が世界と同一視される。そういった誇大妄想をいかにして鎮めるか。セカイ系的な精神は無差別殺人のような重大犯罪に直結するので、我々大人がきっちり批判しなければならないと思う。

*1:彼らのほとんどは30代であり、自分が10代だったゼロ年代の思い出に浸っている。