海外文学読書録

書評と感想

ドン・デリーロ『天使エスメラルダ』(2011)

★★★

短編集。「天地創造」、「第三次世界大戦における人間的瞬間」、「ランナー」、「象牙のアクロバット」、「天使エスメラルダ」、「バーダー=マインホフ」、「ドストエフスキーの深夜」、「槌と鎌」、「痩骨の人」の9編。

戦争は、と彼は言う。戦争は、宇宙に生命体が満ちあふれているという考え方に終止符を打つだろう。これまで多くの宇宙飛行士たちが、星々の彼方に目を向け、無限の可能性を思い描いてきた。高等生物でひしめきあう、葡萄の房のように寄り集まったいくつもの世界を夢見てきた。だがそれは戦争前のことだ。我々の見解、彼と私の見解は、いまこの瞬間、天空を漂うさなかにも変わりつつあるのだ、そう彼は言う。(p.59)

本書は冷戦期からポスト9.11まで、幅広い年代の短編を収録している。なので、いつ書かれたものかを意識して読むと面白いかもしれない。

以下、各短編について。

天地創造」(1979)

カリブ海の島から飛行機で帰ろうとした「僕」とジル。ところが、2人の搭乗はキャンセルされてしまった。やがて彼らはドイツ人女性のクリスタと知り合う。ホテルで過ごした後、予約リストの都合でジルだけ飛行機に乗る。「僕」とクリスタは現地で待機することに。

カフカ的状況を現代で作るとしたら、こういう第三世界が舞台になるのだろうか。たとえば、『エペペ』も先進国の枠組みから外れた架空の異国を舞台にしていた。日本に住んでいると公共交通機関は時間通りというのがデフォルトだから、仮に僕がこの状況に置かれたら、作中人物よりももっと混乱しただろう。未知なる世界というか、未開の地域というか、とにかくそういうマージナルな国の未発達な部分が不条理を誘う。

第三次世界大戦における人間的瞬間」(1983)

エンジニアのヴァルマーが宇宙船から地球の情報収集をしている。地球では戦争をしていた。ところが、テクノロジーの発展によって、人類は戦争に対してかつてのような熱狂を感じていない。

本作は冷戦期に書かれているけど、未来では戦争に核兵器は使われないと予見していて、これは慧眼じゃないかと思った。現代の戦争はまず無人航空機で爆撃して、必要なら地上に兵員を派遣して制圧する。そういう戦争をアメリカは行っている。無人航空機に人間的瞬間はない。遠隔地からゲーム感覚でミサイル発射の操作をしている。攻撃する側の安全を確保することが、結果的に戦争から人間的瞬間を奪っているというわけ。これが良いことなのか、悪いことなのか、あいにく僕には分からない。

「ランナー」(1988)

公園を走っている若い男。突然、車が芝生に乗り上げ、男が子供を拉致した。目撃者の女性によると、犯人は離婚後の父親で、親権絡みで犯行に及んだという。しかし、それはあくまで推測にすぎなかった。

我々は何か事件が起きると、構成要素を分析して物語を作り出す。人間というのは好奇心の抑えられない生き物で、その能力に特化した者が作家になるのだろう。日本でワイドショーが一定の視聴者数を抱えているのも、本作を読めば納得できる。

象牙のアクロバット」(1988)

ギリシャで大地震に遭遇する。

小説にしても映画にしても、フィクションで地震が出てくると東日本大震災を思い出して冷静ではいられなくなる。僕の人生のなかで唯一命の危険を感じた災害だったから。あれのおかげでもう海には近づけなくなった。それはさておき、こういう災害で重要なのは公的機関が正確な情報を素早く提供することで、そうしないとデマがはびこってしまう。それは世界中に当てはまる社会の本質みたいだ。

「天使エスメラルダ」(1994)

修道女のシスター・エドガーが、治安の悪い地域で12歳の少女エスメラルダを探す。ところが、エスメラルダは強姦された後に殺害されていた。

本作を読んで、信仰には奇跡が必要だということが分かった。それは超常現象でもいいし、運命的な出来事でもいい。ただ、今は時代が時代だから、前者に遭遇することはまずない。奇跡には何らかの理屈が伴う。我々は暗黒の中世には住んでないのだ。広告看板に顔が投影されるところが、物質文明における奇跡を如実に表わしている。

「バーダー=マインホフ」(2002)

美術館で出会った男女。2人はテロリストの死を題材にした絵画を鑑賞する。

我々日本人はアメリカの奴隷なので、テロリスト=悪という観念を刷り込まれている。マスメディアによって刷り込まれている。それを信じることで経済的なおこぼれに与っているのだ。今回題材になっているのはドイツ赤軍だけれども、理想の社会を作るために一般人を殺すのは許しがたい一方、しかしそれを超越した視点で物事を見るのも大切かもしれないと思った。なかなか難しいけど。

ドストエフスキーの深夜」(2009)

2人の男子大学生が、歳をとったフードの男を見かける。そして、彼についてあれこれ物語をでっちあげる。

こういう遊びは楽しいよね。言われている本人が聞いたら気を悪くしそうだけど。そして、見知らぬ他人にここまで関心を持つのは、生活に余裕のある大学生ならではのもので、要は暇を持て余した神々の遊びである。そして、現代人はこれをインターネットで行っているのだ。主にSNSや匿名掲示板で。

「槌と鎌」(2010)

経済犯罪者ばかりが集められた収容所での生活。

ホリエモンは刑務所に入って健康になったそうだけど、ここの囚人たちも似たような感じだろうか。刑務所ではなくキャンプ。作中にはドバイやギリシャに関する会話が挿入されていて、我々の生活にはいつも経済がつきまとってくる、死ぬまで金勘定からは逃れられないのだと思い知らされる。一時期日本でベーシックインカムが話題になってたけど、実は大多数の日本人は資本主義にうんざりしてるのではないか。

「痩骨の人」(2011)

離婚した後も同居している男女。女はエクササイズに血道を上げ、男は映画館に通いつめる。

エクササイズも映画も極めてアメリカ的な文化だと思う。むかし日本に『ビリーズブートキャンプ』【Amazon】が入ってきて一大ブームになった。映画に関しても、ハリウッド映画が世界を席巻している。どちらも資本主義的な文化と言ってよく、アメリカ文化を理解することは資本主義を理解することに繋がる。