海外文学読書録

書評と感想

アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』(1844-1846)

★★★★★

1815年。マルセイユの船乗りエドモン・ダンテスは、会計士のダングラールと恋敵のフェルナンに妬まれ、彼らの謀略で婚約披露の席上逮捕される。検事代理のヴィルフォールの思惑によってマルセイユ沖のシャトー・ディフに収監されたダンテスは、そこで同じ政治犯のファリア神父と出会い、彼に財宝の在処を聞かされる。ダンテスが脱獄したとき、逮捕から14年が経っていた。財宝を手に入れたダンテスはモンテ・クリスト伯を名乗り、自分を陥れた者たちに復讐する。

メルセデス」と、おうむ返しにモンテ・クリスト伯が言った。「メルセデス! そうでした! なるほどそのお名前を口にすると、わたしはいまでも楽しくなります。そしてああしたずっとむかしから、そのお名前が口から出ながら、きょうほどさわやかな響きをたてたのははじめてです。おお、メルセデスさん、わたしはいつも、悲しみの溜息や、苦しさのうめきや、絶望のあえぎとともに、お名前を口にしていたのでした。牢屋の藁の上にうずくまり、寒さに体を凍らせながら、お名前を呼んでいたのでした。あまりの暑さに苦しめられ、牢屋の敷石の上をころがりながら、お名前を呼んでいたのでした。メルセデスさん、わたしは復讐せずにはいられません。十四年ものそのあいだ、苦しみつづけ、十四年ものあいだ、泣いたり呪ったりしてきたのですから。メルセデスさん、わたしははっきり言いましょう、わたしは、復讐せずにはいられません!」(vol.3 p.197)

新潮社の世界文学全集で読んだ。引用もそこから。

これは誰が読んでも最高の小説と認めるんじゃないかな。さすが19世紀大衆小説の頂点と言われるだけのことはある。中盤まではじっくりと下地を作っていくような感じでいまいち低調だったけれど、復讐が始まる終盤からはえらい快調で、まさに巻を措く能わずだった。本作の特徴はとにかく段取りがしっかりしているところだろう。獄中でエドモン・ダンテスが神父と邂逅するくだりや、脱獄して財宝を手に入れるくだりなど、序盤からディテールが入念に描かれている。長編小説、とりわけ本作のような大長編は、巨大な建築物に似ていると思う。ひとつひとつの場面を丁寧に描きつつ、遥か終盤に向けて巧みに伏線を張り巡らせていく。あらかじめ図面が用意してあって、それに沿って粛々と物語を組み立てていくような感じ。こういうどっしりした面構えの建築物って、現代でもなかなかお目にかかれないだろう。小説という形式は、19世紀で一度は完成したのだと実感した。

越川芳明『アメリカの彼方へ』【Amazon】によると、19世紀の小説は社会的・歴史的なドキュメントだったという。当時の大衆は小説からあらゆる種類の事柄を知った。銀行業務、炭坑、ロンドンのスラム街、田舎の生活や都会の生活など。テレビもラジオもない時代。小説がその役割を果たした。その伝で行けば、本作もドキュメント的な側面が多分にあると言える。船乗りの生活からパリの社交界まで、扱っている事柄は幅広い。特に現代の読者からしたら、19世紀フランスの空気を味わえるところがポイントだろう。昔の人がどのような出来事に関心を持ち、どのような日々を送っていたのか。生活の細部、社会構造の細部。それらを肌で感じられたのが収穫だった。

本作のいいところは、復讐の計画が周到に練られているところだ。エドモン・ダンテスがモンテ・クリスト伯として娑婆に再臨したとき、復讐対象は一人を除いてみな貴族になっていた。それぞれが自分を踏み台にして不当に成り上がっていたわけだ。これはかなりムカつく状況だけど、モンテ・クリスト伯ほどの財力があれば、腕っこきの山賊に対象を拉致させ、地下室に監禁して延々と拷問することもできた。しかし、彼はそういう無粋なことはしない。相手を社会的に抹殺するため、手の込んだ復讐計画を実行している。結果的にはそれが数々のドラマを生んでいて、報いを受ける者たちも各人各様、終盤は読ませる展開になっている。

本作の最大の見せ場は、エドモン・ダンテスのかつての婚約者だったメルセデスが、モンテ・クリスト伯に自分の息子を殺さないよう頼み込むところで、これはもうせつなさMAXだった。メルセデスモンテ・クリスト伯の復讐対象に嫁いでおり、他の人たちが彼の正体に気づかないなか、唯一ひと目で彼をエドモン・ダンテスだと見抜いている。謀略によって離ればなれになった二人。再会した二人のやりとりを読んで、小説っていいもんだなあと至福のときに包まれた。19世紀の小説はシンプルで面白いから好きだ。