海外文学読書録

書評と感想

ウィリアム・シェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』(1597)

★★★

エリザベス朝のイングランド。太っちょの騎士フォルスタッフが、ウィンザーに住む2人の人妻――ペイジ夫人とフォード夫人――に恋文を送る。2人とも裕福な夫の財布を握っているため、素寒貧のフォルスタッフはその財産を欲しがっていた。一方、人妻たちはフォルスタッフの手紙に憤慨、気のあるふりをして彼にお灸を据える。

フォルスタッフ やあ、シャロー君、この俺を王に訴えるそうだな?

シャロー 騎士のくせに、あなたは私の召使いを殴り、私の鹿を殺し、番小屋をこわした。

フォルスタッフ だが番小屋の娘にキスはしなかった。(p.15)

何と言っても、喜劇のいいところは気楽に読めるところだ。本作は悪い奴が悪いことをしようとして酷い目に遭うのだけど、その仕打ちはさほどきつくなく、せいぜいテムズ川に放り込まれたり、老婆の格好をさせられて打擲を受けたり、妖精に扮した子供たちにつねられたりする程度である。同じ喜劇でも、たとえば『じゃじゃ馬ならし』【Amazon】や『ヴェニスの商人』【Amazonはえげつなかったので、本作はその加減がちょうど良かった。正直、前述の2作は読んでいて心が痛んだので……。その点、本作は緩やかなので現代人でも違和感なく楽しめる。

この話の面白いところは、フォード夫人が自分たちの企みを夫に伝えておらず、夫が何も知らないまま、夫人とフォルスタッフが姦通していると勘違いしていきり立っているところだ。しかも、その構図は夫人の計算のうちで、フォルスタッフを罠にはめる要因になっている。フォード夫人の企みは完璧に成功するのだけど、しかし一歩間違えたら勘違いした夫に誤解されて何をされるか分からない。その辺のバランスが予定調和な筋にいくばくかのスリルを与えている。

妖精に扮した子供たちが、頭に大きな角をつけたフォルスタッフをつねる場面は芝居がかっていて、演劇として見栄えのするような絵面になっている。戯曲は上演されることを前提にしているから、こういう視覚的な部分も工夫が凝らされているわけだ。上演といえば、フォルスタッフがテムズ川に投げ込まれる場面を直接描かないのは、それを舞台上で再現するのが難しいからだろう。これが映画の脚本だったら間違いなく描かれている。戯曲はあくまで劇の台本であることを痛感したのだった。

本作はフォルスタッフを懲らしめる筋の他に、若い男女の恋愛を成就させる筋が平行して進行する。ラストはこの筋が前面に出てきて、愛する者同士が結ばれる大団円で終わるという次第。この辺はいかにもシェイクスピア喜劇のお約束という感じだった。喜劇というのは、テンプレートを頑なに守るからこそ成立する。たとえば、P・Gウッドハウスなんかも同様のテンプレートで喜劇を量産していた。お約束は大切だからこそお約束になっている。

第四幕第一場は丸々言葉遊びの場面だけど、こういうのを翻訳するのは大変だと思った。『不思議の国のアリス』【Amazon】にたくさんの邦訳があるのも、言葉遊びのくだりで独自性が出るからだろう。翻訳に正解がないことを窺わせる。