海外文学読書録

書評と感想

陳浩基『13・67』(2014)

13・67 上 (文春文庫)

13・67 上 (文春文庫)

 

★★★★★

連作短編集。「黒と白のあいだの真実」、「任侠のジレンマ」、「クワンのいちばん長い日」、「テミスの天秤」、「借りた場所に」、「借りた時間に」の6編。

――覚えておけ! 警察官たるものの真の任務は、市民を守ることだ。ならば、もし警察内部の硬直化した制度によって無辜の市民に害が及んだり、公正が脅かされるようなことがあるなら、我々にはそれに背く正当性があるはずだ。(p.78)

日本以外のアジアン・ミステリは今回初めて読んだけれど、これはとてつもない傑作だった。本書は香港を舞台にした警察小説であり、同時に本格ミステリと社会派ミステリを高いレベルで融合させた野心作でもある。一つ一つの短編の出来も去ることながら、クワンという「名探偵」を主軸に据え、だんだん年代を遡っていく構成がとても秀逸だ。最初の短編が2013年、最後の短編が1967年と、およそ半世紀の時をまたいでおり、その時々の香港を映し出している。同じ警察組織でも、中国人が主導権を握っていた時期とイギリス人が主導権を握っていた時期とでは雰囲気がまったく違っていて、事件も当時の世相が反映している。この辺の歴史を感じさせる部分が社会派ミステリとしての醍醐味で、香港の特殊性に否応なく直面させられたのだった。

本格ミステリとしては、安楽椅子探偵を極端な形にまで推し進めた「黒と白のあいだの真実」が出色である。推理におけるロジックの冴えと、安楽椅子探偵のモチーフを裏返したサプライズは強烈だった。「名探偵」として名高いクワン警視は末期がんで昏睡状態にあり、彼はコンピュータを介して「YES」「NO」でしか意思表示をできない。クワンの愛弟子のロー警部が質問することで事件の謎を解いていく。名探偵が昏睡状態だなんてリンカーン・ライムシリーズ*1もびっくりの設定だけど、ちゃんとミステリとして成立しているのだから素晴らしい。特に殺害の凶器に使われたスピアガンを巡る推理が光っていて、個人的には初めてエラリー・クイーンの国名シリーズを読んだときのような興奮を味わった。これぞザ・本格という感じ。他にもこの短編には巧緻な仕掛けが施されていて、たとえば警察が黒幕を引っ掛けるために作った壮絶な罠も見逃せない。安楽椅子探偵ものとしてはオールタイム・ベスト級だと思う。

「任侠のジレンマ」はマフィアの対立、「借りた場所に」は誘拐を扱っているけれども、どちらも額面通りにいかないところはさすがである。1989年を舞台にした「テミスの天秤」までは、クワンの他にローも登場していて、彼の成長が逆回しで確認できる。そして、極めつけは掉尾を飾る「借りた時間に」だろう。1967年を舞台にした本作は、クワンがいかにして警察官としてのポリシーを身に着けたのか、それが事件を通して分かるようになっていて感動的だった。実はこの短編だけ一人称で語られていたから、当然のことながら叙述トリックを警戒していたのだけど、本作はそこを軽々と超えていったので「してやられた!」と思った。この短編、連作の最後に位置するという意味ではエピローグであり、クワンのルーツを探りつつ最初の短編に繋がるという意味ではプロローグでもある。このダブル・ミーニング的な構図は実に見事と言うしかない。

というわけで、本作はミステリ好きなら必読だろう。さらに、香港の世相が程よく書き込まれているので、アジア文学に興味がある人にもお勧めである。最近はあまりミステリを読んでなかったけれど、これを機にまた比重を増やそうかなと思った*2。このレベルの傑作を1年に1作の割合で読めたら幸せである。

*1:このシリーズは、名探偵が四肢麻痺で指先しか動かせない。ハイテクな車椅子で生活している。

*2:ちなみに、僕が熱心なミステリ読者だった頃は、アントニイ・バークリーやジム・トンプソン、パトリシア・ハイスミスなどを好んで読んでいた。