海外文学読書録

書評と感想

マーティン・エイミス『時の矢』(1991)

★★

アメリカ。「私」ことトード・フレンドリーは医師に囲まれ蘇生処置を受けている。ここから「私」は時間を逆回しにしてトードの人生を語っていく。彼は一見すると腕のいい普通の外科医だったが、実は何度も名前を変えていて……。

クレディターは興味を示したようだった。「それは私たちの利点になるでしょう」

「私の第一言語ですから」

「そうそう、その通り、覚えていますよ。あなたは訛りのない言葉を話しますね」

ふたりの男は立ち上がり、握手した。ジョンは言った。

「ほんとうのことを言いましょう。昨日のほうがよかったですね」

「今日は調子はいかがです、ドクター?」

「こんにちは、牧師さま」

「やあ、ドクター」(p.102)

木原善彦『実験する小説たち』【Amazon】で紹介されていたので読んだ。

冒頭に終幕的場面を置いてそこから回想していく小説というのは巷に溢れているけれど、本作みたいに徹底して逆回しに時間を遡っていく小説は初めて読んだかもしれない。トード・フレンドリーはただの好色の爺さんかと思ったら、実はアウシュビッツにまで繋がる業の深い人物で、戦後生まれの作家がナチスの犯罪を題材にするためには、ここまで面倒な語りの様式をとらないといけないのか、と驚いたのだった。語り手の「私」と主人公は同一人物なのになぜか視点が解離しているし、引用文のように会話の場面では逆から読まないと意味が通らないようになっているし、逆語りならではの挑戦的な趣向が目を惹く。個人的には読んでいて苦痛だったので評価は低いけれど、話の種に一度は目を通しておいてもいいと思う。小説には様々な手法があり、幅広い可能性がある。そんなことを感じさせる作品だった。

本作を読むと、つくづく小説とは時間芸術なのだということを思い知らされる。もちろん時間芸術とは小説だけの特権ではない。映画や音楽など、時の不可逆性に囚われた芸術はいくらでも存在する。なぜそういう状況になっているのかと言えば、我々が絶え間なき時の流れに身を置いているからで、少なくともこの地球上では過去から未来へ時間が動いているがゆえに成立している。この記事を書いている現在でも時間は刻一刻と過ぎているのだった。本作はそういった物理法則を逆手にとったところが新しく、発想の素晴らしさを認めることは吝かではない。こういう尖った小説が文学史上に存在するのも愉快である。

追記。2020年公開の映画『TENET テネット』【Amazon】が本作と似たような手法を用いているらしい。