★★★
1992年。文筆業のコロンナが、あらゆることについて真実を暴くことを目的とした特殊な新聞の創刊に関わることになる。編集部に出入りする彼は、ムッソリーニに関する陰謀論を聞かされ……。
敗者というのは、独学者と同じで、勝者よりずっと幅広い知識をもっているものだ。勝ちたかったら、知るべきことはひとつだけだ。ありとあらゆることを知ろうとして無駄にする時間などない。博学の悦びとは敗者のためのものなのだ。多くのことを知っていればいるほど、うまくいかなかったことも多いということだ。(p.16)
イタリアの歴史が濃密に絡んでいるため、一部分かりづらいところがあったけれど、全体としては風刺の効いた小説でなかなか面白かった。何で1992年を舞台にしているのかといったら、ケータイやインターネットが普及していないからだろう。
ムッソリーニに関する陰謀論はとても胡散臭くて、普通の人だったら妄想と一蹴してしまうところ、この小説は一筋縄ではいかない展開で揺さぶってくる。考えてみたら、日本でもオウム真理教の事件があって、あれも当初は陰謀論と言われていたけれども、結局は実際に起こった出来事として明るみに出てきたから、わりと馴染みのある構造なのだ。何が正しくて何が間違っているのか分からないという構図は。限られた視角しか持たない我々にとって、陰謀論かそうでないかを見分けるのはとても難しいのである。
新聞を作る様子も毒が入っていてけっこう好きだ。当然のことながら、作り手は読者をバカにしながら編成会議を開いている。想定する読者層を低く見積もって、載せる記事をあれこれ算段している。この辺はもう喜劇と言うほかない。日本のマスコミも似たようなことをしているわけで、こういうのは万国共通なのだなと思った。