海外文学読書録

書評と感想

ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(2015)

★★★★

1980年。大統領候補ミッテランと会食したロラン・バルトは、帰り道に交通事故に遭って死亡した。彼の手元からはある重要な文書が持ち去られている。それはヤコブソンの未発表原稿で、「言語の七番目の機能」に関するものだった。ジャック・バイヤール警視と記号学者シモン・エルゾグが捜査する。

バイヤールの向こうに、スキンヘッドで鰓の張った痩せぎすの男が裸で座っている。両腕を左右に伸ばして木製のベンチの背もたれにのせ、両脚を大きく開き、自分の性器をしゃぶらせているところだった。針金のように痩せ細った相手の若者は、ピアスをしているものの短髪だった。「警視、何かめぼしいものは見つかったかね?」とミシェル・フーコーは尋ね、シモン・エルゾグを睨めつけた。(p.57)

本作はウンベルト・エーコのオマージュで、フランス現代思想界隈を舞台にしている。ミシェル・フーコーを始めに、ジャック・デリダやフィリップ・ソレルスなど、当時の大スターたちが実名で出てくるところが特徴だろう。本作で焦点となる「言語の七番目の機能」は、『薔薇の名前』【Amazon】における『詩学』第二部みたいなものだ。つまり、一種のマクガフィンである。殺人事件を引き起こすほどの重要な文書ではあるものの、その効能が分からない。誰がどういう目的でそれを盗んだのか? 本作は冷戦期を舞台にしているため、東側の存在を匂わせつつ話が進んでいく。たとえば、ジュリア・クリステヴァブルガリア出身で、母国のために……みたいな。

もちろん、そういう探偵小説的な謎も魅力的だけど、何より面白いのがフランス現代思想のスターたちがあられもない姿を晒すところだ。ミシェル・フーコーはハッテン場で男娼に性器をしゃぶらせながら警視の質問に答えているし、ジュリア・クリステヴァは乱交パーティーでペニバンをつけて警視を犯しているし、ジャッグ・デリダジョン・サールの放った犬に噛み殺されている。そして、一番酷い目に遭っているのがフィリップ・ソレルスで、現実の彼がこれを読んだらどう思うのか大いに気になった。そもそも、よくこういう訴訟リスクの高い小説を発表できたと思う。本作の中には、現存する人物が何人かいるわけだし。ただ、そこは表現の自由が世界一確保されているフランスである。あのシャルリー・エブドもフランスの新聞だったわけで、こと言論に関しては何でもありなのだろう。これが日本やアメリカだったら確実に絶版・回収されている。

ロゴス・クラブという秘密組織も面白かった。これは言論版ファイト・クラブで、選りすぐりの論客たちが一対一のディベートを繰り広げている。この組織は大プロタゴラスを頂点に、愛知者(ソフィスト)や護民弁論家(トリブン)など、フリーメイソンみたいな階級性になっており、下位の者が上位の者に挑戦するスタイルになっている。そして、もし挑戦者が敗れた場合、無慈悲にも指を切断されてしまうのだった。このハードなゲンロンバトルもなかなか読み応えがあって面白い。日本で放送している「朝まで生テレビ」もこの形式にすればいいのにと思う。

ウンベルト・エーコがすごくおいしいポジションにいて、彼ならああいう役回りをしていても違和感ないと納得した。何というか、最初から最後までオマージュを捧げられているような感じ。フィリップ・ソレルスとは明らかに扱いが違う。現実のウンベルト・エーコは本作発表の翌年に亡くなっていて、彼は知の巨人だったと改めて思いを馳せることになった。