海外文学読書録

書評と感想

クリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』(2014/米)

★★★★

テキサス州で生まれ育ったクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、幼い頃から父親に狩猟のやり方を教わっていた。そんな彼がアメリカ大使館爆破事件をきっかけに海軍に入隊し、訓練を経てシールズに配属される。やがてアメリカ同時多発テロ事件が発生。カイルは狙撃兵としてイラク戦争に従軍する。戦場では敵をたくさん殺して「伝説」と呼ばれるようになるも、敵側にムスタファ(サミー・シーク)という凄腕のスナイパーがいて悩まされる。ムスタファはシリア出身の元オリンピック選手だった。

原作はクリス・カイル『アメリカン・スナイパー』【Amazon】。さらに、本作にはもう一つ訳書があって、そちらは『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』【Amazon】というタイトルになっている。

一見すると右派のプロパガンダ映画だけど、核の部分には「英雄」の空虚さを据えていて、ベトナム戦争から続く反戦映画の王道だと思った。だってこの主人公、周囲には「伝説」と持て囃される反面、何度も戦場に出ては精神を病むし、最後は母国で退役軍人に殺されてるし、見ていて可哀想になったから……。唯一の救いは、結婚して立派な家庭を築いたことだろう。しかし、人生とは長生きしてなんぼだ。いくら死後に国葬が営まれても、死んだ者にはそれが認識できないのだから意味がない。現代の英雄とはなんてちっぽけなんだ、と虚しい気分になった。

戦争映画にとって右か左かは些末なことで、重要なのは人殺しの快楽があるかどうかである。つまり、我々は戦場という非日常をゲーム感覚で楽しみたいわけ。人の生き死にはエンターテイメントなのだ。特にスナイパーは近年のFPSと親和性が高く、ターゲットを手際よく射殺していく様子は見る者の快感中枢を刺激する。

その点、本作は戦争映画として満足度が高い。戦場をリアルに再現して、それを適切な時間配分で上映する。人殺しの快楽はばっちり味わえるし、そのうえ英雄の空虚さを描いて深みを出しているし、個人的には文句のつけどころがない。ハリウッドらしい極上のエンターテイメントだと思う。

アメリカには巨大な映画産業があるから、自分たちの主張を盛り込んだプロパガンダ映画を世界中に広めることができる。たとえば、本作で描かれているのは、あくまでアメリカ人の悲しみだ。イスラム側の人間は得体の知れない敵でしかしない。世界中の観客はみなアメリカ人に感情移入している。個人的にはもう少し多様性が欲しいので、イスラム諸国も頑張って戦争映画を作ってほしいと思う。テロの大義を掲げた戦争映画。じゃないと、いつまで経っても悪役のままだ。

ザック・スナイダー『ウォッチメン』(2009/米)

ウォッチメン (字幕版)

ウォッチメン (字幕版)

  • ローラ・メンネル
Amazon

★★★

1985年10月。ソ連によるアフガン侵攻への機運が高まり、世界は核戦争の危機に直面していた。そんななか、ニューヨークで元ヒーローのコメディアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)が何者かに殺される。非合法でヒーロー活動をしているロールシャッハジャッキー・アール・ヘイリー)は、独自に事件を捜査するのだった。彼はかつての仲間だったナイトオウルことダニエル・ドライバーグ(パトリック・ウィルソン)の元を訪ねる。ダニエルは条例によってヒーロー活動が非合法になって以来、引退してカタギの生活を送っていた。

原作はアラン・ムーアデイブ・ギボンズによる同名コミック【Amazon】。

思ったよりも原作に忠実で、しかも原作よりとっつきやすいのは評価できる。終盤のイカの部分は変えて正解だった。さすがに今は80年代じゃないから*1。こちらのほうがしっくりくる。

ヒーローがただのコスプレ野郎にすぎないという皮肉な視点は、たとえば『バットマン』シリーズでお馴染みだけど、本作はそこから一歩踏み込んで、ならず者の自警団活動と位置づけている。コメディアンやロールシャッハなんかは明らかにヴィラン側の人間だ。他のヒーローは比較的まっとうな感覚を持っているものの、しかしそれでも仲間の乱暴狼藉を黙認している。本気になって止めない時点でコメディアンたちと同類と言えよう。「正義」をお題目に掲げれば何をしてもいいのか? という問題意識が本作の根底に流れていて、事件の黒幕であるヴェイトはその集大成的な役割を担っている*2

オジマンディアスことヴェイト(マシュー・グード)の計画は、フィクションでよく見る功利主義の思想だけど*3、原作が80年代のコミックであることを考えると、当時としては斬新だったのだろう。数百万人を犠牲にすることで、核戦争による人類滅亡を回避する。目的のためには手段を選ばない。正義とはどう果たされるべきか? というテーゼは人によって千差万別なので、本作は現代でも色褪せないアクチュアルな作品と言えそう。21世紀の映像技術で映画化されたのは幸福だと思う。

それにしても、本作はヒーローたちの身体能力が高すぎて困惑した。Dr.マンハッタン(ビリー・クラダップ)以外は普通の人間なのに、みんな人間離れしたアクションを見せている。それこそジャッキー・チェンも裸足で逃げるくらい。銃から発射された弾丸を素手で掴むのはさすがにやりすぎだろう。君たちはただのコスプレ野郎なんだよと言いたい。

*1:原作は1986年から1987年にかけて出版された。

*2:もちろん、アメリカが世界中で「正義」を執行していることも射程に入るだろう。たとえば、本作ではベトナム戦争が描かれている。

*3:最近の作品だと、『Fate/Zero』【Amazon】や『進撃の巨人』が有名。

ギャヴィン・フッド『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦争』(2015/英=南アフリカ)

★★★★

ロンドン。イギリス軍のパウエル大佐(ヘレン・ミレン)が、アメリカ軍の無人偵察機を使って、ナイロビに潜むテロリスト捕獲作戦を指揮していた。やがてテロリストたちが隠れ家に集合、屋内に自爆ベストが用意されていることを確認する。危険を感じた司令部は捕獲作戦から殺害作戦へ切り替え、無人偵察機によるミサイル攻撃を決定する。ところがその矢先、1人の少女が隠れ家付近でパンを売り出した。このまま攻撃したら彼女を巻き込んでしまう。

テロリストの隠れ家を攻撃するかどうかで上層部がひたすら揉める。こういうひとつの状況で一本の映画を撮ったのはなかなか面白いかも。しかも、気難しいポリティカルスリラーに終始せず、ある程度娯楽性を加味しているところがいい。これからの戦争は、本作みたいに会議室を舞台にしたものになるのだろう。無人偵察機を遠隔操作してターゲットを殺す。こちらは損害のリスクを負わない。やることといったら政治的な意思決定のみ。僕は『ブラックホーク・ダウン』【Amazon】みたいなドンパチ映画が好きなので、この潮流は寂しいと思った。

最初は法的判断と政治的判断で揉めるのだけど、現場付近に少女が登場することで倫理的判断も加わることになる。この倫理的判断については、有名なトロッコ問題に通じるものがあるだろう。ここで隠れ家を攻撃したら1人の少女は確実に死ぬが、一方でこれからテロに巻き込まれるであろう80人の命は救われる。1人の命を救うか、それとも彼女を犠牲にして80人の命を救うか。判断が難しい。

映画では真面目に葛藤していたけれど、これが現実だと果たしてどうだろう? 「テロには屈しない」というのが西側諸国の信条だから、ためらうことなくミサイルをぶち込んだのではないか。たとえば、アメリカが広島と長崎に原爆を落としたときもこういう判断がなされたはずだ。ここで大量殺戮しておけば、本土決戦は回避されて結果的には犠牲者が少なくなる。だから原爆を落とす。スケールは違えど、本作と状況は似ている。

本作を観て意外だったのが、国籍の問題で議論が紛糾するところだった。というのも、攻撃対象にはイギリス国籍とアメリカ国籍が含まれているのだ。たとえ狂信的なテロリストでも、こちら側の国籍を持っていたら無下に殺すことはできない。法的に問題がある。だから当初は捕獲することを考えていた。正直、このロジックは僕には理解不能で、法改正したほうがいいんじゃね? と思ったほどだ。だって、これだとテロリストが英米イスラム系を勧誘しまくったらあちこちでやりたい放題だから。法の不備だと思う。

アダム・マッケイ『俺たちニュースキャスター』(2004/米)

★★

1970年代のサンディエゴ。地元テレビ局で夕方のニュースのアンカーマンを務めるロン・バーガンディ(ウィル・フェレル)は、ブライアン(ポール・ラッド)、ブリック(スティーヴ・カレル)、チャンプ(デヴィッド・ケックナー)といった共演者たちと男同士の馬鹿騒ぎをしていた。そこへヴェロニカ(クリスティナ・アップルゲイト)という女性キャスターが入社していくる。彼女は野心家で、女性初のアンカーマンを目指していた。ロンは彼女を性的に好きになるも、仕事の面では認めず妨害する。

昔の男尊女卑のテレビ業界を風刺したコメディ映画。個人的にアメリカ人の笑いはよく分からないのだけど、本作はスラップスティック要素が強いので比較的分かりやすかった。くだらないとは思いつつも笑える部分がちらほらある。

序盤はロンがヴェロニカに対してやたらとセクハラしていて、20世紀的野蛮を存分に味わうことができた。この時期はまだウーマンリブが台頭してきたばかり。いくぶん誇張されてるとはいえ、紅一点はこうやって嫌がらせをされたのだろう。それと、ケーブルテレビが普及する前ということで、競合する他のテレビ局とむき出しのライバル関係にあるところがいい。今じゃテレビなんてネット配信に押されてオワコンなわけで、業界にとって70年代は古き良き時代だったのだと思う。

いくつか笑えた場面を挙げよう。ロンにブリトーを投げつけられて転倒したバイク乗りが、怒ってロンの犬を橋から川へ蹴り飛ばしたのは可笑しかった。犬が放物線を描いて飛んでいく様子が可愛らしい。それと、ライバル局のキャスター陣が勢揃いして乱闘する場面も滑稽だった。ある男は火だるまになって走り回ってるし、別の男は刃物で腕を切断されてるし、見ていてしょうもないって感じがする。そしてもうひとつ、終盤でヴェロニカがヒグマの檻に突き落とされたのは愉快だった。ロンが助けに行ったときは、「そのままにしておけばいいのに」と思ったくらい。どうやら僕は、登場人物が酷い目に遭うのが好きなようだ。

とはいえ、尺の大半は退屈で、映画としてはあまり高く評価できない。これを観ることで何か得られるものがあるだろうか? と根本的な疑問を抱きつつ、我慢して完走した。続編はたぶん観ないだろう。というか、こんな映画に続編があるとは意外だ。アメリカではそんなに人気だったのだろうか。やはりアメリカ人の笑いはよく分からない。

ブライアン・デ・パルマ『スカーフェイス』(1983/米)

★★★

1980年。キューバ難民のトニー・モンタナ(アル・パチーノ)は人殺しの報酬でグリーンカードを獲得し、まもなく裏社会でコカインの取引に関わるようになる。ボリビアで大きい取引をまとめたトニーは、自分を裏切ったボスを殺して麻薬王にのし上がるのだった。彼はボスの愛人だったエルヴィラ(ミシェル・ファイファー)と結婚する。

裏社会におけるアメリカン・ドリームを描いた映画である。思ったよりもチープだった。本作を見ると、クエンティン・タランティーノブライアン・デ・パルマのファンだというのもよく分かる。B級映画っぽいテイストが濃厚なのだ。有名俳優を起用しているうえ、おそらく低予算ではないはずなのにB級っぽい。このチープさはいったい何なのだろう、と首を傾げながら見た。

アル・パチーノ演じるトニー・モンタナは、ギャングというよりはチンピラみたいなキャラをしていて、持ち前の自信と度胸で成り上がっている。衝動性が強く、あまり知恵はなさそうである。面白いのは、無頼漢のくせに理想の家族像を追い求めているところだ。カタギの母親には親孝行したいと思っているし、妹のことは溺愛している。そして、自身は結婚する前から子供を欲しがっていた。当時はまだボスの愛人だったエルヴィラに対し、「俺の子供を産め」と熱い殺し文句を投げかけている。そして、この極めてまっとうな家族観が、のちに破滅への引き金になるのだから面白い。非情な部分とそうでない部分が入り混じっている。

本作には色々と見所があるが、やはり最高なのがトニーの死に様だろう。コカインで痛覚が麻痺しているのか、銃弾を雨あられと浴びても立ったままでいて、身を震わせながら啖呵を切っている。その姿が壮絶だった。さらに、後ろからライフルで撃たれてプールに転落するシーンには、ある種の崇高ささえ感じる。このラストは鮮烈だった。

あとはコロンビア人が電動ノコギリでトニーの仲間を拷問するところや、トニーがソファーにふんぞり返って葉巻を燻らせるところなどもいい。特に後者は似合ってるんだかそうでないんだかよく分からない独特の風情がある。いくら格好つけても小柄だからあまり貫禄がないのだ。Wikipediaによると、アル・パチーノの身長は170cmだそうで、外国の映画俳優にしては小さすぎる*1。何をやっても老けた顔の子供がイキってるだけみたい。チンピラ役がとてもよくはまっていた。

*1:ちなみに、エルヴィラ役のミシェル・ファイファーは身長171cm。アル・パチーノよりも背が高い。