海外文学読書録

書評と感想

サマセット・モーム『アシェンデン―英国秘密情報部員の手記』(1928)

★★★★

連作短編集。「R大佐」、「家宅捜索」、「ミス・キング」、「毛無しのメキシコ人」、「黒髪の美人」、「ギリシア人」、「パリ行き」、「踊り子ジューリア・ラッツァーリ」、「スパイ・グスターフ」、「売国奴」、「舞台裏」、「大使閣下」、「丁か半か」、「シベリア鉄道」、「恋とロシア文学」、「ハリントン氏の洗濯物」の16編。

「きみがこの仕事にとりかかる前に、ぜひ心得ておいてもらいたいことが一つある。忘れないでおいてくれたまえ。もしきみが首尾よくやってくれても、きみは感謝の言葉ひとつもらえないし、また面倒な事態が起こっても、助けは望めない――と、それでよろしいかな?」

「願ったりです」

「それじゃ、ごきげんよう」(pp.11-12)

ちくま文庫Amazon】の河野一郎訳で読んだ。引用もそこから。

英国秘密情報部員のアシェンデンを主人公にした連作。第一次世界大戦期を舞台にしている。僕にとってスパイ小説といったら冷戦期というイメージなので、本作は時代設定からして新鮮だった。内容は手に汗握る冒険というよりは、情趣のある人間模様が読みどころだろう。たまに出てくる機知に富んだ洞察がスパイスになっている。

以下、各短編について。

「R大佐」。大戦が勃発、作家のアシェンデンがR大佐によってスパイにリクルートされる。「小説のネタになるから」と言われて危険な仕事を引き受けてしまうのは、やはり作家の業なのだろうか。それとも、事態の深刻さを分かってないとか? 冷戦期のスパイ小説を読む限り、スパイは敵に見つかったら悲惨な目に遭わされるからね。

「家宅捜索」。アシェンデンがジュネーブのホテルに戻ってくると、2人の警官が待ち受けていた。スイスは中立国であるがゆえに各国のスパイ活動が盛んで、スパイ、革命家、扇動者などが主要都市のホテルに巣食っているという。警察は彼らに対して断固たる態度をとるわけだ。そんな事情があるとは知らなかったので新鮮だった。

「ミス・キング」。エジプトのお姫様方の家庭教師をしている英国人のミス・キング。当初はアシェンデンに対して冷たい態度だったが、今際の際になって彼に伝えたいことがあるとして呼びつける。この話で面白いのは、オーストリア人のスパイだったり、エジプト独立を企む殿下だったり、そういうイギリスの敵たちとアシェンデンが平然と顔を合わせているところ。敵同士、中立地で社交をするのもスパイの仕事なわけだ。

「毛無しのメキシコ人」。アシェンデンが毛無しのメキシコ人とナポリへ行くことになる。目的は敵の持っている文書を手に入れるため。当時のイタリアは中立を保っていて、連合国側は味方にしたがっていたからゴタゴタは避けたい。と、そういう国際関係が制約になっているところが本作の醍醐味だろう。それにしても、毛無しのメキシコ人はキャラが立ちまくりだった。陽気で饒舌な男だけど、言動の端々から人殺しのプロであることが示唆されている。

「黒髪の美人」。毛無しのメキシコ人の昔語り。彼は黒髪の美人に一目惚れして彼女を口説く。当初はつれない態度だったものの、やがて相手の好意を勝ち取ることに。ところが、彼女は大統領のスパイだった。たとえ女であっても、敵と見たら匕首で喉を掻っ切るのがメキシコ人の流儀。ところで、本作は期せずして探偵小説論みたいな話があって面白かった。動機のない通り魔的殺人では事件の解決は困難だという。これは僕も常々思っていたことだった。

ギリシア人」。毛無しのメキシコ人によると、ターゲットのギリシア人は書類を身に着けていなかったという。アシェンデンは彼と一緒に部屋に入って荷物を調べる。余裕綽々のメキシコ人とビクビクしてるアシェンデンの対比がいい。そして、何より本作はオチが衝撃的だった。ラスト一文は「おいおい、マジかよ」って感じである。なかなかのブラックユーモア。

「パリ行き」。R大佐から連絡を受けてパリに来たアシェンデン。そこでインド人活動家の情報を聞き、彼と関わりのある女を護送することになる。このインド人活動家が元弁護士だったので、これはガンジーがモデルではないかと思ったけど、件の活動家は暴力革命を目指しているのでどうやら違うみたい。

「踊り子ジューリア・ラッツァーリ」。アシェンデンがラッツァーリにインド人活動家宛の手紙を書かせる。安全だからトノンに来てくれ、と。スパイ稼業の厳しさというか、冷酷さというか、そういう非情な部分が前面に出ていた短編だった。ラッツァーリからすれば恋人を殺す手紙になるのだけど、自分の身の安全もあるから書かなければならない。これはなかなかきつい状況だ。しかし、ラストにそれをひっくり返すようなセリフがあって、一筋縄ではいかない女だと苦笑いした。

「スパイ・グスターフ」。バーゼルを根城にする腕利きのスパイ・グスターフ。アシェンデンがR大佐の命令で彼の細君に会いに行く。報告書がすべてでっちあげっていうの実際にあってもおかしくなさそう。でも、すぐにバレるんじゃないかなあ。よく分からんけど。

売国奴」。ルツェルンにやってきたアシェンデン。彼はそこのホテルに逗留しているイギリス人ケイパーと接触する。ドイツ人の妻を持つケイパーは、ドイツ秘密情報機関のスパイをしていた。アシェンデンは彼をこちら側に寝返らせようとする。ケイパーはケイパーで腹に一物あって、最後は飛んで火に入る夏の虫だった。アシェンデンもケイパーもお互い正体を明かさず、こうやって物事は進んでいくんだなって感じ。夫に対して強い影響力を持つケイパー夫人がなかなかいいキャラをしている。

「舞台裏」。X市(ある重要な交戦国の首都)に派遣されたアシェンデンが、イギリス大使にアメリカ大使の不満を伝える。この短編はアメリカ人が戯画的に描かれていて、ヤンキーってのは昔からこういうイメージだったのかと妙に感心したのだった。イギリス大使が貴族、アメリカ大使が庶民というのも両国の違いを表している。

「大使閣下」。大使の後任が高級娼婦と結婚するということで、その地位を剥奪されることになった。大使がそれを庇うように昔の恋物語を語る。これはイイ話だった。結婚と恋愛は別ものというか、恋愛には地位も格式もなくて、ただ好きになった者同士が愛を育む。これが結婚になると、釣り合いがどうだとか、体裁がどうだとか、色々複雑な要素が絡んできてしまう。だから大衆の間で純愛もののドラマが流行るわけだ。ある種のファンタジーとして。そして、本作はオチも良かった。最後のセリフは気が利いている。

「丁か半か」。ヘルバルツスという男がオーストリアの軍需工場の爆破を計画していた。ただし、それを実行すると彼の同胞であるフランス系ポーランド人を多数殺傷することになる。大使とのやりとりから急に現実に引き戻されて、アシェンデンも嘆息する。タイトルはそういう意味だったのかという感じ。

シベリア鉄道」。アシェンデンがアメリカ人のハリントン氏とシベリア鉄道で旅をする。これは紙幅のほとんどがハリントン氏の素描に割かれていて、これぞザ・アメリカンという人物像を描き出していた。イギリス人とアメリカ人ってどうしてこんなに違ってしまったのだろう。

「恋とロシア文学」。アシェンデンとロシア女との恋。女はロシア文学に精通したインテリゲンツィアで、彼女に不釣り合いな夫がいた。そういえば、第一次世界大戦の途中まではまだ帝政ロシアだった。恋愛にはお互いに乗り越えられない「相違」というのがあって、本作ではそれが炒り卵に象徴されている。大食いはロシアの国民性らしいので、今度ロシア文学を読むとき心に留めておこう。

「ハリントン氏の洗濯物」。革命によってロシア政府が転覆したというのに、ハリントン氏は自分の洗濯物に執着している。そして、この悲劇的なラストはちょっと意外だった。