海外文学読書録

書評と感想

エミール・ゾラ『居酒屋』(1877)

居酒屋 (新潮文庫)

居酒屋 (新潮文庫)

 

★★★

跛の洗濯女ジェルヴェーズは、情夫である帽子屋ランチエとの間に2人の子供をもうけていた。ところが、彼女はランチエに捨てられてしまう。その後、ブリキ職人のクーポ-に口説かれて2人は結婚。ジェルヴェーズは懸命に働いて金を貯め、紆余曲折ありながらも洗濯屋を開業する。結婚から9年後、姿を消していたランチエが現れ、夫婦と共同生活を送ることになる。

「あたしはね、高望みする女じゃないの。それほど欲ばりじゃないの……。あたしの願いっていえば、地道に働くってこと、三度のパンを欠かさぬこと、寝るためのこざっぱりした住居を持つこと、つまり寝床が一つ、テーブルが一つ、椅子が二つ、それだけあればいいの、それ以上はいらない……。そうそう! それから子供たちを育てて、できればいい人間にしてやりたい……。もう一つ願いがあるわ。こんど世帯を持つことがあったら、打たれないこと。いやよ。打たれるって、あたし、嫌い……。これだけ、ほんとにこれだけなの……」(pp.74-75)

19世紀自然主義文学の代表作。噂に違わず情景描写が多くて読むのに骨が折れた。本作は芸術作品としてよりも、同時代の生活を活写した記録文学としての価値のほうが大きいと思う。物の値段がいくらかというのがきっちり書いてあって、たとえば絹の小さな半外套は13フラン、毛織のドレスは10フランすると具体的に記されている。かと思えば、洗濯場や工場での労働の様子が詳しく描写されているし、ジェルヴェーズの誕生日にみんなで鵞鳥の焼肉を食べる場面では、料理に関する記述が目白押しになっている。全体的にディテールが克明に書き込まれているため、現代文学に比べると煩雑な読書を強いられるけど、しかしそれがかえって現代人に昔の風景を伝えていて、これはこれで貴重な作品と言えるだろう。第二帝政期のフランスを知るための必読文献という感じだ。個人的にこういう小説は趣味じゃないけれど、読んでいてそれなりに好奇心を刺激されたのは確かで、時間をあけて他の小説も読んでみたいと思った。

一人の人間が破滅していくところが19世紀の「リアル」なのだろう。女が稼ぐようになると男はたいてい駄目になるって、いつの時代も変わらないんだなあと思った。夫のクーポ-は酒浸りになってろくに働かなくなるし、再会したランチエはジェルヴェーズに臆面もなくタカってくるし、周りの男がクズすぎて地獄である。ジェルヴェーズは今風に言えば「だめんずうぉーかー」ってやつかもしれない。自分を捨てた情夫のランチエがダメ男なら、後に結婚したクーポ-もダメ男。ただ、クーポ-に関しては最初は誠実そうな男だったので、ジェルヴェーズが適切に躾けていれば零落することもなかっただろう。ジェルヴェーズが悲劇に見舞われたのって、大局的に見れば貧困が原因だけれども、一方でもし彼女が真面目な男と結婚していればこんな死に様を晒すこともなかったので、女にとって男選びは重要と言えそうだ。下層階級は働かないと生きていけないから、働き者であることは最低条件。そのうえで暴力的かどうかを見極める必要がある。いやー、この時代で生きていくの難易度高いわ。

「よう! もっとこっちへ来な。ちゃんとおとしまえはつけてやるぜ! いいかい、パリのあたしたちを小ばかにすると承知しないよ……。こんなズベ公なんか、どうなろうとあたしの知ったことか! もしこいつが殴りかかってきたのだったら、見事ペチコートをひん捲ってやったろうさ。いい見世物だったろうにねえ。いったいあたしがなにをしたってのさ、言えるものなら、言ってみな。さあ、淫売、いったいおまえになにをしたってんだい?」(p.46)

ある女が洗濯場でジェルヴェーズにパリ風の啖呵を切っていて、そういえばこの光景は『金瓶梅』でも見たなあと懐かしくなった。昔から女っていうのは洋の東西を問わず口が達者で、往来でこういう口喧嘩を頻繁にしていたのだろうか。本作ではこの後取っ組み合いの喧嘩を始めていて、庶民を描いた作品は刺激的だと思った。