海外文学読書録

書評と感想

呉明益『自転車泥棒』(2015)

★★★

作家の「ぼく」は、20年前(1993年)に父親が自転車と共に失踪して以来、古い自転車を集めるようになった。父親の自転車はどこに消えたのか? と長年疑問に思っていたが、あるときコレクターの家でそれが見つかる。その自転車を起点に、日本統治時代からの様々な物語が語られる。

静子が手紙を読むのを聞きながら、ぼくは深く、長い息を吸った。物語はいつだって、自分がどうやって過去から現在のここにやってきたか、知ることができないからこそ存在している。最初は、物語が時間に摩耗されてもなお、冬眠のようにどこかで生き残っている理由がだれもわからない。でも、耳をそばだてているうちに、呼び覚まされた物語は呼吸とともに体内に入ってくる。あとはまるで針が脊椎から脳のなかへ滑り込むように、冷たく、熱く、また冷たく……心に刺さる。(p.396)

思ったよりも話のスケールが大きくて驚いた。『歩道橋の魔術師』が中華商場という限られた場所を舞台にしていたのに対し、本作はそれがマレーシアのジャングルだったり、ビルマの森だったり、戦時中のアジアを視野に収めている。出てくる人たちも、台湾の原住民や日本の老婦人など様々だ。自転車というひとつの物を通して、家族の記憶、ひいては戦争の記憶までをも引っ張ってくる。これは並大抵の構想じゃないと感心したのだった。昔は自転車がメルセデスベンツと同じくらい貴重で、一生に一台持てるか持てないかだったという。そういう時代から始まって、自転車が人の思いを受け継ぐバトンみたいな役割を担ってあちこち移動している。物語としては探偵小説みたいに自転車の来歴を探求する話なのだけど、それが遠い戦争の記憶を眼前に呼び起こすのだから意表を突かれた。

もちろん、この戦争には日本が大きく関わっている。当時の台湾は日本の統治下にあったし、マレーシアもビルマも日本が攻め込んでいった地域だ。台湾に住む人たちも、日本人として戦争に駆り出されている。最近、日本では台湾文学がブームになっているけど、これは日本が歴史的に台湾と関わりが深いうえ、現在のややこしい政治状況のなかで「こちら側の国」と目されているからだろう。しかし、一連の台湾文学を読むと事情は複雑で、日本が台湾を含むアジア地域に残した爪痕は大きい。「台湾は親日国だ、万歳!」なんて喜んでいる場合ではないのである。台湾人からすれば、日本は外来政権のひとつで、振り返ってみればそれなりに割り切れないところもあるのだろう(これはあくまで想像に過ぎないけど)。そして、だからこそ日本人は台湾文学を読むべきなのだ。台湾を理解することは日本を理解することにも繋がる。日本がアジア地域で何をしてきたのか。当該地域の人たちはどういう生活を送ってきたのか。そのことを知るのは日本人としての義務だと思う。

作中に出てくる台湾人の名前が、アブー、ナツ、アッバスと中国風じゃないのが気になった。どうやら別に中国風の本名があるようだけど、普段はこれら外来風の名前で呼ばれている。これはどういうことなのだろう? 台湾では実際にそういう習慣があるのだろうか? でも、今まで読んできた台湾文学ではみんな中国風の名前が使われていたので、本作にはいささか戸惑ったのだった。