海外文学読書録

書評と感想

李永平『吉陵鎮ものがたり』(1986)

★★★

連作短編集。「万福巷」、「天気雨」、「赤天謡」、「人生風情」、「灯り」、「十一のおっかさん」、「蛇の呪い」、「降りしきる春雨」、「荒城の夜」、「大水」、「思慕」、「地に降りそそぐ花雨」の12編。

この日劉老実は店を開けると、朝早くからいつもどおり両足で棺桶板をまたいで、シャーッシャーッと木材にカンナをかけていた。口に煙草をくわえ、うつむいたまま、ひとこともしゃべらない。劉ばあさんは朝早くからひとり路地口へ行き、白髪まじりの頭を振りたてて、腰を曲げ、目を細めて、通る人に指を突きつけながらわめいた。

「雷に打たれてしまえ!」

「雷に打たれてしまえ!」

一日中、呪いつづけた。(p.44)

本書を読むまで台湾文学に馬華文学というサブジャンルがあるとは知らなかった。馬華文学とは、マレーシア出身の華人による文学らしい。一ジャンルを成すほどだから、マレーシアから台湾に移住する人が多いのだろう。ただ、本作にマレーシア要素が見られるかと言えばそんなことはなく、むしろ土俗的な中国、外国文化に毒されていない純粋な中国が表象されていたと思う*1。異国的な要素は、「荒城の夜」に『アイヴァンホー』【Amazon】が、「大水」にキリスト教七つの大罪がちらっと出てきたことくらい。ここに描かれた吉陵鎮は幻想の中国と言えそうだけど、しかしそれを言ったら、フィクションによく出てくるロンドンやニューヨーク、東京なども、文字によって表現された幻想の都市である。

本作は連作という形で庶民の人間模様をワイドスクリーンで捉えている。最初の短編「万福巷」で、ならず者が人妻を強姦して自殺させ、寡夫になった男が発狂して殺人を犯すというエピソードが描かれている。これが通奏低音として連作全体に流れつつ、微妙に連関する人々の営みを描いて吉陵鎮という一つの町を形作っている。町というのは人間がいるから成り立っているのであって、町の物語とはすなわちそこに住む人間の物語だということなのだろう*2。人々はいかにも中国文化圏といった感じの原始的な所作をしていて、道端に痰を吐いたり、かんざしで歯をほじったり、祭りで爆竹を鳴らしたり、同じ台湾文学の『歩道橋の魔術師』とは隔世の感がある。前時代的というか、大陸から脈々と受け継がれてきた古き良き世界がありありと表現されている。

他には3つの短編を1つのユニットとして区分けし、それぞれのユニットに通奏低音とは別のライトモチーフを入れていたり、観音祭りのある6月19日に始まって別の年の6月19日に終わる構成にしていたり、連作として工夫されているところが目を惹いた。普通の台湾文学との違いが気になるので、これを足がかりにして他の馬華文学も読んでみたい。

*1:あるいは、単に僕がマレーシア要素を見落としているだけかもしれない。

*2:ジョジョの奇妙な冒険』【Amazon】の杜王町みたいな。