★★
南仏の不動産屋で秘書をしているバルバラ・ベッケル(ファニー・アルダン)が、社長のジュリアン・ヴェルセル(ジャン・ルイ・トランティニャン)にクビを言い渡される。その直後、ジュリアンが殺人容疑で逮捕された。クレマン弁護士(フィリップ・ローデンバック)の働きで何とか釈放されるが、今度はジュリアンの妻・マリー=クリスティーヌ(カロリーヌ・シホール)が何者かに殺される。ジュリアンを助けるべくバルバラが事件を調査することに。
原作はチャールズ・ウィリアムズ『土曜を逃げろ』【Amazon】。
オールドスタイルのミステリ映画だが、これを見るとヒッチコックがどれだけ上手かったか分かって複雑な気持ちになる。トリュフォーはヒッチコックのファンだけあって所々にパロディが見られるが、ヒッチコックのような技術とアイデアは継承しなかったようだ。『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』【Amazon】という共著まで出したのにあんまりである。とはいえ、本作はサスペンスではなくミステリを志向しているので、両者を単純に比べるのは間違っているのかもしれない。どちらかというとハリウッド黄金期の探偵映画に近く、それをフランス流のエスプリで仕上げたような映画になっている。
トリュフォーは一貫して女性の脚線美に拘ってきた。だからこそファニー・アルダンに魅せられたのだろう。後に私生活でパートナーになるのだから相当入れ込んでいたのだ。アルダンの顔は典型的なモデル顔で映画の顔に適さないが、その脚線美は一級品である。だから本作は要所要所で脚を映す。彼女の脚線美は他のキャストとの対比によって際立つところがあって、売春婦と同じフレームに入るショットでは売春婦が露骨に芋っぽく見えた。こういうところは残酷である。しかし、天は二物を与えない。アルダンは顔がごつくてヒロインに適さなかった。だから見ていて違和感が付きまとう。思えば、この辺もヒッチコックのほうが優れていて、彼は臆面もなくブロンド美女をキャスティングしていた。こういった割り切り方も作家性なのだろう。誰を映画の顔にするのかは脚本以上に重要なのだ。近年ルッキズムは批判される傾向にあるが、しかし、せっかく金と時間を費やすなら良いものを見たいのが人情である。その点、ヒッチコックは俗情と上手く結託していた。トリュフォーがアルダンをキャスティングしたのは失敗と言わざるを得ない。
レッドヘリングはミステリに付き物だが、映画で見ると事態を複雑にさせているだけで実は余計な要素だと思う。見ているほうとしては真犯人は誰だっていいのだ。映画におけるストーリーはあくまで見せ場を作るためのものなので、脚本はシンプルであればあるほどいい。小説が長編だとすれば映画は短編である。だから作り方は自ずと異なってくる。それに映画は映像を見せるための媒体である。2時間を一息で見るのは労力がいるため、省略できるところはなるべく省略してすっきりさせたほうがいいと思っている。こういったところもヒッチコックのほうが優れていた。
真犯人の動機がフランス人らしくて気が利いていた。改めて考えると、ジュリアンとバルバラ、真犯人とマリー=クリスティーヌは対の関係になっていて、女の存在が人生の明暗を分けている。男にとって女は毒にも薬にもなるというオチが良かった。