海外文学読書録

書評と感想

西川美和『ゆれる』(2006/日)

ゆれる

ゆれる

  • オダギリジョー
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★★★★

東京で写真家をしている猛(オダギリジョー)が、母親の一周忌のために山梨に帰省する。父の勇(伊武雅刀)は葬儀のときに帰ってこなかった猛のことを快く思っていない。一方、家業のガソリンスタンドを切り盛りする兄の稔(香川照之)は、猛に対してやさしかった。ガソリンスタンドには幼馴染の智恵子(真木よう子)が勤めている。猛、稔、智恵子の3人で渓谷へ遊びに行くことになるが……。

途中までは最高だったが、7年後のパートが最悪で評価がだだ下がりになった。ファミレスで洋平(新井浩文)に責めさせるのはわざとらしかったし、8mmフィルムを見て真相らしき情景を思い浮かべるところも後出しジャンケンのように感じる。この情景は腕の引っかき傷との辻褄は合うが、真相かどうかはいまいち確信が持てない。というのも、猛は「信頼できない語り手」なのだ。本当に現場を見ていたかどうかも怪しいのである。法廷での証言も、意図的に嘘をついたのか真実と思い込んで証言したのか判断できない。要所要所で観客を混乱させるイメージ映像が挿入されている。監督としては、殺人か事故死かは曖昧にしておきたかったのだろう。映画の本質はそこではなく、一人の女を契機とした兄弟の愛憎にあるのだから。とはいえ、やはりこのパートはすっきりしない。もう少し何とかならなかったものかと思った。

稔の怪人物ぶりがすごい。朴訥そうに見えて何を考えているのか分からないのだ。自白しなければ事故扱いだったのに自白する。法廷では打って変わって殺人を否認する。弟との面会ではあからさまな憎悪を向ける。弟への憎悪は紛れもなく本当だろう。田舎に閉じ込められた稔は上手く脱出した猛を羨んでいた。一方、法廷での立ち回りはよく分からない。罪悪感に押し潰されて一度は虚偽の自白をし、証言台に立ったら冷静になって真実を述べた。素直に見ればそう解釈できるが、他に何か意図があるようにも見える。稔はいったい何を考えているのか。演じている香川照之が曲者だから見ているほうも油断できない。人生の土壇場に立っているのに妙に度胸があるところが不気味だ。途中までは稔が醸し出す得体の知れない雰囲気に引き込まれた。

本作はキャスティングが絶妙で、オダギリジョー演じる猛は確かにモテそうだし、逆に香川照之演じる稔はいかにもモテなさそうである。特に後者はキモい。女から生理的に無理と言われそうな外見をしている。猛は都会で写真家として成功し、女にモテている。一方、稔は田舎でつまらない人生を送り、女にモテない。兄弟で勝ち負けがくっきり分かれている。一見すると弟が兄に優越した形になっているが、勝っているはずの弟も兄に翻弄されるのである。事件を通じてどちらも傷を負った。しかし、稔の真意がまったく分からないため、より多く負ったのは弟ではないかと錯覚してしまう。稔には奪われた苦しみがあり、猛には奪ったことによる罪悪感がある。事件を契機に兄弟の確執が表面化するところが面白かった。

拘置所の面会室で猛と稔は向かい合う。しかし、間には透明なアクリル板が仕切りとして設置してあって触れ合うことができない。また、ラストではバス停にいる稔に猛が「お兄ちゃん!」と呼びかける。しかし、間には車が行き交う国道があって触れ合うことができない。このように2人の断絶を表すメタファーを用いているところが目を引いた。