海外文学読書録

書評と感想

新海誠『雲のむこう、約束の場所』(2004/日)

★★

1996年。北海道がユニオンという異国に征服されており、その中央に謎の巨大な塔が建っていた。津軽半島に住む中学3年生・藤沢浩紀(吉岡秀隆)は、親友の白川拓也(萩原聖人)と飛行機を作っている。2人は塔に憧れており、クラスメイトの沢渡佐由理(南里侑香)を伴って飛行機で飛んで行こうとしていた。ところが、その矢先に佐由理が失踪する。

田舎を舞台にしたありきたりな青春ものかと思いきや、途中から平行宇宙がどうのと言い出して、エヴァンゲリオン風のSFになったのには驚いた。

僕が子供の頃、悪の帝王から世界を救うというのが日本のRPGの王道だった。『ドラゴンクエスト』【Amazon】も『ファイナルファンタジー』【Amazon】もそうだったと記憶している。ラスボスを倒し、世界を救うことで、みんなが救われる。そういうシンプルなストーリーだった。僕も子供の頃は何度も世界を救っていたものである。ところが、ゼロ年代のおたく系コンテンツはそこに捻りを加えている。世界を救うか、ヒロインを救うか、その二者択一を迫ってくる。というのも、ヒロインの命運が世界の命運と直結する仕組みになっているのだ。こういうのはセカイ系と呼ばれていて、物語は色々なバリエーションがある。しかし、一般市民と世界の危機が直結してるところは共通している。個人的にゼロ年代はコンテンツ不作の時期だと思っているけれど*1、それはセカイ系の流行と無関係ではないだろう。

本作は制服・バイオリン・廃駅と、青春の記号が散りばめられた表層的な作品だ。とりわけ薄いのがヒロインの造形で、人格も何もないただの人形でしかないのには面食らう。彼女がどういうキャラクターなのかきちんと掘り下げてないのだ。ヒロインは主人公に救われるお姫様の役割に過ぎず、ただ声が可愛いくらいしか感情移入のポイントがない。人形にセーラー服を着せれば女になるだろう、みたいな投げやり感がある。主要人物をここまで空っぽな人物像にしたのには驚きで、セカイ系とはおたくによるおたくのためのコンテンツであることが窺える。これでは文化が痩せ細るのも無理はないだろう。

主人公にとって塔は憧れであり、約束の場所である。一方、大人たちにとっては手の届かないもの、変えられないものの象徴であり、南北分断を解消するためには破壊しなければならない。終盤では主人公と大人たちの思惑が一致して塔が破壊される。その結果、ヒロインが救われると同時に、約束の場所が消失する。これは青春の終わりを意味しているのだけど、しかし、このラストは収まりが良すぎてつまらない。せっかくヒロインの命運と世界の命運が直結しているのだから、もっと危機的なコンフリクトが欲しかった。これではぬるすぎると思う。

*1:それに対してテン年代は良質なコンテンツに溢れていた。