海外文学読書録

書評と感想

溝口健二『近松物語』(1954/日)

近松物語

近松物語

  • 長谷川 一夫
Amazon

★★★★

京。大経師の妻おさん(香川京子)が実家から金の無心をされる。おさんの夫はケチでその申し出をすげなく断った。おさんは仕方なく、手代の茂兵衛(長谷川一夫)に相談する。茂兵衛は勝手に主人の印判を使って取引先から金を借りようとしたが、それを同僚に見つかってしまうのだった。空き家に監禁された茂兵衛はそこから逃亡。それをおさんが追いかけ、2人は不義密通したと誤解される。

原作は近松門左衛門『大経師昔暦』【Amazon】。

映画としては先の展開を暗示するところが作為的に感じたけれど、それを補って余りあるほど俳優の演技とカメラワークが素晴らしかった。

茂兵衛を演じる長谷川一夫は歌舞伎の女形だけあってほのかに色っぽい。その中性的な人当たりが身分の低さを如実に物語っていて絶妙な配役だと思った。おさんに対してもあくまで奉公人と接している。優男とはまた一味違う艶めかしい所作。テストステロン値の高いマッチョだったらまず成立しない役柄だ。本作はそういう女形が人妻に思いを打ち明け、情念を滾らせるのだから見応えがある。

誤解に誤解が重なって逃避行に繋がる筋立てはやきもきする。しかし、これから琵琶湖で心中しようというとき、茂兵衛がおさんに「お慕い申してました」と告白し、それを機におさんが心中を思いとどまるところは感慨深かった。おさんは「死ぬのは嫌だ。生きていたい」と返事するのである。おそらくおさんは初めて人から愛されたのだろう。大経師との結婚は金銭絡みで愛はなかった。それが証拠に大経師は奉公人の女に手を出している。初めて人から愛されたおさんは、以降、茂兵衛にべた惚れになる。そして、2人は運命を共にすることになるのだった。

カメラワークはどれも素晴らしいけれど、とりわけ印象に残っているのが山腹で茂兵衛とおさんが抱き合うシーンだ。逃げる茂兵衛と追いかけるおさん、その果てに2人が抱き合って愛を確かめるところは鬼気迫るものがあった。

また、納屋で2人が寝てるところから大捕物になって別れ別れになるシーンも素晴らしい。ひとときの幸福が一瞬にして破られる。その様子がとてもせつない。

本作は封建社会の悲劇を描いているのだけど、茂兵衛とおさんの関係はセカイ系の先駆けではないかと思った。2人とも愛のためなら家を潰しても構わないと思っており、堂々と不義密通を周囲に晒している。恋人と家を天秤にかけつつエゴを押し通すところは、恋人と世界を天秤にかけつつエゴを押し通すセカイ系と相似形にあると言えよう。愛のためなら家を犠牲にしてもいいし、何なら世界を犠牲にしてもいい。そう考えると、セカイ系とはロマン主義の成れの果てだったのだと思う。