海外文学読書録

書評と感想

キルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008)

★★★

「僕」ことキルメン・ウリベは、ニューヨークの大学で講演するため、バスク地方の都市ビルバオから飛行機で旅をする。彼は創作のための情報収集をしていた。画家のアウレリオ・アルテタや建築家のリカルド・バスティタ、漁師をしていた自分の家族のことなど、断片的に物語っていく。

記憶の働きというのは不思議なものだ。僕ら自身の思い出し方によって、かつては現実だと思われていたことがフィクションへと変貌してしまう。少なくとも、そうしたことが家族のあいだでは起こる。僕らより先立っていった人々のことを記憶に留めるために、彼らの物語が語り伝えられ、そうした逸話のおかげで彼らがどんな人物だったのかを知ることができる。そして、そのなかで割り振られた役柄にしたがって、人は記憶されるのだ。(p.43)

著者のデビュー作。原書はバスク語で書かれている。

オートフィクションと私小説の違いがよく分からないのだけど、ともあれ創作で一番楽しいのは自分の人生を捏造することではないかと思った。作中で自分の周りの人々を書くとか、作り話は書かないとか宣言しておいて、しれっと嘘を書いていく。結局、小説に書かれているエピソードが事実かどうかなんて読者には分からないし、もっと言えばどうでもいいことなのである。この辺については子供の頃、『魁!!男塾』【Amazon】の民明書房*1に騙されたことを思い出す。作中に参考文献としてたびたびその出版社の本が引用されるのだけど、実はそんな出版社なんて端から存在しなかったという。作者は「ウソか本当か微妙な境目がミソ」と語っていたそうで、少年時代の僕はそのもっともらしい嘘を信じて胸を高鳴らせていたのだった。真実を知ったのは大学に入ってからだと思う。そういうわけで、自伝的小説の体裁をとった本作についても、事実かどうかというのはあまり気にしていなくて、父親についても祖父についても、たまたま飛行機で隣り合った乗客についても、もし全てが作者の空想だったらそれはそれで痛快だと思った。何だかひねくれた読み方だけど……。

語り手が創作についてあれこれ模索する様子が、読んでいてとても楽しい。たとえば、56ページでは小説の書き出しについて、カーソン・マッカラーズシルヴィア・プラスの作品を引用して、自分ならどうするかというのを考えている。そこで生み出された書き出しはボツになったけれども、後になって本作で採用された書き出しはとても振るっていて、今年読んだ小説のなかでもっとも印象に残るものになっていた。読者の意表を突くぶっ飛んだ書き出しだと思う。

*1:調べたら『民明書房大全』【Amazon】という本が出版されていた。