海外文学読書録

書評と感想

ミュリエル・スパーク『あなたの自伝、お書きします』(1981)

あなたの自伝、お書きします

あなたの自伝、お書きします

 

★★★

1949年。フラー・トールボットは小説第一作を書き上げて、間もなく作家デビューを果たそうとしていた。そんな彼女が自伝協会という組織に雇われ、名士たちの自伝に修正を加えて面白くする仕事に従事する。ところが、そこでトラブルが発生。小説の出版が反故にされた挙げ句、原稿が何者かに盗まれてしまう。

一九四九年に体験したことを語りながら思うのは、同じ人間が相手でも、現実より小説のほうが扱いやすいということだ。小説であれば、勝手に人物たちをこしらえ、都合よく配置できる。ところが、いざ自分の人生を書く段になると、実際に起きたことも、自然と脳裏に浮かぶ人たちのことも、漏れなく話さねばならない。伝記というのは、くだけたパーティに似ている。客の順位も、歓待の規則もない。招待状もない。(p.53)

本作はミステリ小説みたいに謎で引っ張っていく構成だけど、ストーリーは可もなければ不可もなく、しかし一方で作家である語り手の芸術観が散見されて、意外にも芸術家小説として楽しめた。「読者に好かれたくて詩や小説を書いていたのではない。真実や奇跡の存在を自分の言葉で伝えたかっただけだ。少なくとも私自身、その存在を文章も定着させながら感じ取っていた」とか、「小説というものは、神話という枠組みを備えていなければ価値がない。真の小説家、言い換えれば、小説とは一続きの詩であるということを理解している小説家は、まさに神話を生み出していることになる。小説の素晴らしさは、一つの物語を多様な方法で無限に語り直せる点にあり、その意味では神話と変わらない」とか。このように作家の見解が読めるのは読者冥利に尽きるだろう。もちろん、これがミュリエル・スパークの本音なのか、それともフラー・トールボットに与えた韜晦なのか、その辺は分からない。けれども、なかなか真に迫った見解であることは確かで、芸術家の語る芸術観は興味深いと膝を打ちながら読んだ。

それ以外では随所に表れるユーモアとアイロニーが面白かった。何といっても語り手のパーソナリティがいい。化粧を厚塗りしたしわだらけの老婆を「華やかな珍客」と表現したり、「作家の宿痾ともいうべき偏執症など、出版経営者によくある分裂症と比べればかわいいものだ」と毒づいたり。かと思えば、原稿を引き裂いてわあっと泣き出すなんてこともしていて、それまで続けてきた知的で冷静な叙述とのギャップが意外性をもたらしている。こういうユーモアとアイロニーはイギリス文学の伝統で、僕はそこに惹かれて欧米の小説を読んでいるわけだ。なるべくなら世界中の小説を均等に読んでいきたいところだけど、そこはそれ個人の趣味・嗜好があるわけで、困ったときにはつい欧米のものを手にとってしまう。欧米の小説をメインに読んで、飽きたらアジアやラテンアメリカの小説に手を出す。自分がどこに軸足を置いているのか、期せずして再確認することになった。

原稿が盗まれてにっちもさっちもいかなくなる展開は、いかにも昔の話だなと思った。フラーは原稿を取り戻した後、バックアップをとるためにいちいちタイプライターで同じ文面を打ち込んでいる。現代では原稿のデータをUSBメモリクラウドに保存するのが一般的だし、一昔前だったらコピー機で原稿を複製していた。そういう時代からすると隔世の感がある。昔の小説を読む醍醐味は、現代とのギャップを感じるところにあるのかもしれない。特にテクノロジーの面で顕著な違いがあって、そこがツボにはまったりする。