海外文学読書録

書評と感想

イングマール・ベルイマン『第七の封印』(1957/スウェーデン)

第七の封印 [4K修復版] (字幕版)

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  • マックス・フォン・シドー
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★★★

十字軍に参加していた騎士のアントニウス(マックス・フォン・シドー)が、従者のヨンス(グンナール・ビョルンストランド)と共に故郷に帰ってくる。10年ぶりの故郷はペストで荒廃していた。そんななか、アントニウスの前に死神(ベント・エケロート)が現れる。アントニウスは死を先延ばしにしようと死神にチェスの勝負を持ちかけるのだった。一方、アントニウスは神の存在を確かめたがっている。

神への信仰が揺らぐのは理不尽な目に遭ったときかもしれない。アントニウスは神のために十字軍に参加し、10年間異国の地に遠征した。ところが、それはまったくの無益だった。そして故郷に帰ってみると、今度はペストによって無差別な死が充満している。神のために戦っても報われない。それどころか、神を信じている者たちが次々と病に倒れている。自分が今までしたことは何だったのか。アントニウスは理不尽な出来事に直面することで、懐疑の念がむくむくと頭をもたげてきている。そもそも神の存在は曖昧で、五感で捉えることができない。こちらが呼びかけても返事をしてくれない。良いことが起きても悪いことが起きても、神は等しく沈黙している。現状、神の存在を証明するエビデンスがないのだ。アントニウスとしては心の底から神を信じたい。どうすれば沈黙の向こうにいる神を知ることができるのか。それが喫緊の課題になっている。

人間が神を作ったのは己の弱さから目を背けるためだろう。世の中は理不尽な出来事に溢れている。それは自然によるものあれば、人為によるものもあり、自分の力では対処しきれない。説明のつかない出来事や筋の通らない出来事に日々翻弄されている。我々の視点は時代に制約され、また主観の枠組みに押し込まれているから、物事を完璧に見通すことができない。だから神という超越者を必要とする。神なら何でもお見通しだろう。自分の人生に意味に与えてくれるだろう。神は世界の余白を埋めて納得するための道具なのだ。ところが、時代を経るごとに世界から余白が失われていった。科学の進歩が世界の謎を解明し、神の居場所を奪っていった。その結果、現代人は神の存在を否定し、世の中のありとあらゆる理不尽をあるがままのものとして受け入れている。つまり、神を超克したのだ。それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、本作みたいな映画を見るたびに自分の立ち位置を自覚させられる。

当時のヨーロッパではペストによって人がバタバタ死んでいったし、本作においては死神がターゲットに死を与えている。その基準は分からない。そもそも人は自殺意外に自分で死に方を選べないのだ。いつ病死するか分からなければ、いつ事故死するか分からない。はたまた不意に殺されることもある。死はいつだって不本意であり、完全にランダムだ。そこで思い出すのが『悪霊』【Amazon】のキリーロフで、彼は完全な我意は自殺だと言って自らの命を絶っている。自分の死を神の気まぐれに任せない。神の掟を破り、己の自由にすることで神を超克している。キリスト教文化圏における神の問題は知れば知るほど興味深い。

ペストが流行った当時は終末が意識されたはずだが、片方には陽気な旅芸人の一座があり、もう片方には疫病を天罰と捉える狂信的な集団がいる。混沌とした中世ヨーロッパの表現が面白い。