★★★
フランスの大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が自伝『真実』を出版した。アメリカに住む娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)が夫(イーサン・ホーク)と娘(クレモンティーヌ・グルニエ)を連れて祝いに駆けつける。リュミールが自伝を読むと嘘ばかり書かれていた。一方、ファビエンヌは映画の撮影中であり、そこではサラの再来と呼ばれるマノン(マノン・クラヴェル)と共演している。サラはファビエンヌのライバルであり、プライベートではリュミールの母親代わりだった。
話としては母娘の関係が軸となっているが、もっとも重要な人物が一切姿を見せない。彼女の名前はサラ。ファビエンヌのライバルにして、リュミールの母親代わりだった女優だ。しかし、この時点でサラは故人である。だから会話の中にしか出てこない。
ファビエンヌにとってサラは越えられない壁だったようで、芝居ではサラに勝てなかった。だからサラとは一度も共演したことがない。それどころか、枕営業をしてサラの役を奪ったことがある。結果的にはそれが悲劇の引き金となった。一方、2人は仲が悪かったかと言えばそうでもなく、プライベートでは親密な付き合いをしている。ところが、ここも一筋縄ではいかない。娘のリュミールはファビエンヌよりもサラのほうに懐いていた。サラが母親代わりだったのだ。ファビエンヌは毒舌家で嘘をつけない性格をしている(自伝は嘘だらけだが)。そして、若い頃から浮気を繰り返して夫を追い出している。女優としては最高でも母親としては最低だった。ファビエンヌとリュミールの間には深い溝が横たわっているが、そこにはサラが関わっている。観客の前に一切姿を見せないサラ。そんな彼女が本作のキーパーソンになっている。
現在撮影中の映画に共演しているマノンはサラの再来だ。マノンはファビエンヌの娘くらいの年齢だが、この映画ではファビエンヌが演じるエイミーの母親を演じている。というのも、映画はSFであり、マノンが演じている役は歳を取らないのだ。ここで面白いのはマノンがファビエンヌの母親役であるところだろう。現実のファビエンヌは幼い頃に母親を亡くした。だから母親というものを十分に知らない。その一方、マノンはサラの再来であり、象徴的にはサラがファビエンヌの母親になっている。ファビエンヌとサラのライバル関係は、この劇中劇において母娘関係に置換されているのだ。母親としてのサラはファビエンヌの空白を埋める存在である。そして、マノンと向き合うことはサラと向き合うことであり、同時に母親と向き合うことでもあった。母親と向き合ったファビエンヌは、今度は自身が母親として娘リュミールと向き合うことになる。最終的にはサラと和解し、リュミールの誤解を解くことになった。こじれた関係をねじれた回路によって修復する。本作はそこが面白い。
ファビエンヌ役のカトリーヌ・ドヌーヴは大女優らしく貫禄があって、まるでヒラリー・クリントンを太らせたような感じだった。一国のリーダーを務めていそうな風体である。ジュリエット・ビノシュもイーサン・ホークも悪くないが、存在感ではドヌーヴが頭一つ飛び抜けている。理想的な歳のとり方と言えそうだ。