海外文学読書録

書評と感想

山田洋次『たそがれ清兵衛』(2002/日)

★★★★

幕末の庄内・海坂藩。平侍の井口清兵衛(真田広之)は、夕刻に終業の太鼓が鳴ると、同僚からの酒の誘いを断って真っ直ぐ帰宅することから、「たそがれ清兵衛」とあだ名されていた。清兵衛は妻を労咳で亡くし、今は認知症の母と娘2人と共に貧乏暮らしをしている。そんな彼は、幼馴染の朋江(宮沢りえ)を巡って果し合いをして勝利。その噂が藩の上層部にまで広まり、遂には上意討ちを命じられる。

原作は藤沢周平の同名短編集【Amazon】。

序盤は幕末を舞台にした現代劇っぽい感じでいまいち乗れなかったけれど、終わってみれば無常観がすーっと尾を引いていい映画だと思った。娘の回想という語り口が功を奏したかもしれない。近代から封建社会を振り返る。その眼差しが、現し世で生きることの限界を炙り出している。結局のところ、人間は時代の制約から逃れられないのだ。幕藩体制で生きるにはその時代のルールに従わないといけないし、近代社会で生きるにはやはりその時代のルールに従わないといけない。特に本作の場合、幕末が舞台だから、観ているほうは幕藩体制がもうすぐ終わることを知っている。藩命に殉じるのは馬鹿馬鹿しいことだと分かっている。けれども、登場人物には未来が予見できないから、その馬鹿馬鹿しいことに殉じなければならない。制約のなかでもがき苦しまなければならない。我々の人生は生まれた時代に大きく左右されるのであり、運が悪かったらそのせいで命を落とす。ここにどうしようもない無常を感じる。

侍をサラリーマンっぽく描いたのは、おそらく観客を感情移入させるためだろう。飲み会の誘いや上司の理不尽な命令は言わずもがな、組織内の派閥争いまである。ただ、現代のサラリーマンは簡単に辞職や転職ができるけれど、当時の侍はそんなことできないうえ、上司の機嫌を損ねたら命を落としかねない。ブラック企業以上にブラックなところがあって、そこが現代劇とは一線を画している。いつの時代も勤め人は大変なのだ。清兵衛にはサラリーマンの悲哀を感じる。

この映画では殺陣を2回披露するけれど、どちらも違った味わいがあって良かった。1回目は木刀VS刀。これは木刀を使った清兵衛が相手を鮮やかにいなしていて気持ちいい。実力に相当な差があって圧勝している。2回目は小太刀VS刀。屋内を舞台に泥臭い立ち回りをしていて、これぞ命のやりとりという緊張感がある。鴨居に刀が引っ掛かるところは分かっていてもショッキングだ。

ところで、「なぜ学問する必要があるのか?」という問いに対し、清兵衛が「学問すれば考える力がつく」と答えたのはあっぱれだった。