海外文学読書録

書評と感想

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』(1952)

★★★

やし酒飲みの「わたし」は仲間と一緒に毎日大量のやし酒を飲んでいた。ところが、ある日やし酒造りが死んでやし酒が飲めなくなってしまう。ジュジュを身にまとった「わたし」は、死んだやし酒造りを探しに旅に出る。

わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。(p.419)

河出書房新社の世界文学全集【Amazon】で読んだ。引用もそこから。

アフリカ土着の伝統文学をこの世に蘇らせたような小説でなかなかインパクトがあった。ガルシア=マルケスに代表されるラテンアメリカ文学魔術的リアリズムとするなら、本作はさしずめ呪術的リアリズムといったところだろう。「わたし」は「この世のことはなんでもできる神々の<父>」を自称していて、実際ジュジュを使って鳥に変身したり、死神と超能力対決したりしている。ストーリーは複数の童話や民話を繋ぎ合わせたようなファンタスティックな感じで、一つのエピソードに固執せず、すぐに別のエピソードに移るという展開の速さが目立つ。その一方、原始的な物語と思わせながら、長さの単位がフィートやマイルで、お金の単位もポンドなのがギャップを誘う。そういえば、爆弾がどうのと言ったり、銃をぶっ放したりもしていた。野生と文明の混交。この辺の節操の無さが本作の魅力かもしれない。

突然、妻の親指から子供が生まれたと思ったら、そいつが剛力かつ食いしん坊で村に迷惑をかけ、あまつさえ村人たちを焼き殺そうとする。だから「わたし」は逆に子供を殺してしまうのだけど、このエピソードはいったい何なのだろうかと首を捻ることしきりだった。他にも、「恐怖」と「死」を金で売って冒険するところが印象に残る。「恐怖」だけ買い戻して、「死」は預けたままだから死ぬ心配はないとか、何てぶっ飛んだ論理だろう。さらに、飲み食いできないと分かるや友達が去っていくところなんか世界共通の現象で、ここに我々と同じ人間がいると少し感動してしまった。

本作はアフリカに文化人類学的な興味を持っている人にお勧め。個人的には、前半は文句なしに面白かったけれど、後半で失速したのが残念だった。