海外文学読書録

書評と感想

『西遊記』(1592,1694)

★★★

天宮で乱暴狼藉を働いた孫悟空は、釈迦如来によって五行山の岩に押さえつけられてしまう。500年後、唐の太宗の時代。三蔵は太宗のために天竺まで取経の旅に出ることになった。道中、孫悟空猪八戒沙悟浄を弟子に加え、妖怪変化たちを退治しながら波乱万丈の旅をする。

悟空は、手負いの賊をつかまえて尋ねた。

「楊老人のせがれは、どやつだ」

かの賊、うめきながら、

「あの黄色い服をつけたのがそうでがす」

悟空は近寄りざま刀を引ったくり、黄色の服を着た男の首をかき落としてしまった。生血のしたたるやつを手にひっさげ、三蔵に追いつくと、馬の前に立って、それをさし上げ、

「師匠、これが楊じいさんとこの不孝者です。わたしが首を取って来ました」

三蔵は驚いてまっさおになり、馬からころげ落ちてののしった。

「この悪猿めが、びっくりさせるじゃないか。早く持って行け、早く持って行け」(下 p.64)

中国古典文学大系(太田辰夫・鳥居久靖訳)【Amazon】で読んだ。引用もそこから。なお、岩波文庫版【Amazon】は明朝末期の蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』(中身は1592年の世徳堂本『新刻出像官板大字西遊記』とほぼ同じ)を、中国古典文学大系版は清朝時代の『西遊真詮』(1694)をそれぞれ底本にしている。作者は呉承恩という説が広く流布しているが、現在は作者不詳とするのが一般的な模様。

悟空が天上界で暴れまわるプロローグは最高に面白かったけれど、旅に出てからは面白さが急落していて、これで100回は長過ぎると思った。分量的には60回で収めるのがちょうどいいと思う。悟空は『三国志演義』【Amazon】の張飛や『水滸伝』【Amazon】の李逵を連想させるトリックスターで、切った張ったの大勝負から妖術を使った計略まで、その活躍は目を見張るものがある。本作を楽しめるかどうかは悟空のキャラクターに惹かれるかどうかにかかっていて、その点で言えば僕も彼には魅力を感じたのだった。まあ、正直その長大さゆえにマンネリの感は否めない。しかし、稀代のキャラクター小説であることは確かで、とりあえず読んで損はしなかった。悟空と八戒の掛け合いは漫才みたいに楽しいし、三蔵が事あるごとに呪文を唱えて悟空を苦しめる(頭につけた緊箍児が締め付けられる)のは笑える。ただ、沙悟浄がまったく目立っていなかったのが残念。彼は数合わせ要員だったのか。

本作にマンネリを感じたのは、三蔵が毎回のように敵に攫われたり、悟空がたびたび天上界に助けを求めたり、同じく悟空がしばしば小さくなって敵の胃の中に入ったり、行動がパターン化されていたからだ。しかしその一方、細部はわりとバリエーションが豊かで、女人の国で川の水を飲んだ三蔵たちが妊娠するとか、悟空が偽医者になって病気の国王に馬の小便を混ぜた薬を飲ませるとか、飽きさせないような工夫は見られる。さらに、觔斗雲に三蔵を乗せて天竺までひとっ飛びできない理由がきちんと設定されているところも意外だった。昔の小説のわりに作中のロジックがしっかりしている。