海外文学読書録

書評と感想

ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(1988)

★★★★★

学生運動に沸くミラノ。大学生のカゾボンはテンプル騎士団をテーマにした卒論を書いていた。その彼がガラモン出版の編集者ベルボとその同僚ディオタッレーヴィと出会い、会社に出入りするようになる。ガラモン出版は表向きは良心的な小規模出版社だったが、裏ではオカルト愛好家向けの自費出版も請け負っていた。そこへアルデンティ大佐と名乗る男が、テンプル騎士団についての陰謀論を持ち込んでくる。それをきっかけに、カボゾンたちは「計画」に関わっていくのだった……。

「私は出版社に勤めておりますが、出版社には頭の良いのと変なのがやってきます。編集の仕事というのは、そのうちから一目でおかしい連中を見抜くことでしてね、テンプル騎士団の話を持ちかけてくる連中はまず間違いなく狂っていることが多いのですよ」(上 p.103)

やはりウンベルト・エーコの代表作は本作だろう。テンプル騎士団にまつわる陰謀論を中心に、ヨーロッパ文化の知識・教養がたっぷり詰め込められていて、ここまで知的で衒学的な小説を書ける人はなかなかいない。テンプル騎士団は第1回十字軍を由来とする中世の騎士団で、彼らの貯め込んだ金が欲しいフランス王フィリップ4世によって、14世紀初頭、無惨にも壊滅させられてしまった。しかし、そこから伝説は幕を開け、薔薇十字団、フリーメーソンフランシス・ベーコンイエズス会ユダヤ人といった派生的な要素と繋がりつつ、現代の陰謀論にまで至っている。正直言って、この辺の話題にはほとんどついていけなかったのだけど、それでも終わってみると、本作は一言で要約できるくらいシンプルなプロットになっているから驚きだ。冒頭にクライマックス直前の場面を置いて、そこから回想していく構成が見事にはまっている。書物にはページをどんどん捲っていくものと、一行一行じっくり読んでいくものの2種類があると思うけど、本作は間違いなく後者のタイプで、次から次へと出てくる知識の奔流に圧倒されながら読んだ。陰謀論についてだったら永遠に語り続けることができるのではないか、というくらい徹底的に語り倒している。

陰謀論がいかにして形成されるのかといったら、解釈の過剰さにあるのだと思う。本作の登場人物は、頭が良すぎるゆえに一周回って馬鹿になっているんじゃないかと思うくらいのディレッタントで、理屈と膏薬はどこへでもつくみたいな精神で陰謀論を練り上げていく。薔薇十字団からユダヤ人まで、いかにもな話題がてんこ盛りでお腹いっぱい。どれが妥当でどれが無理筋なのか僕にはまったく判断できなかったけれど、下巻でフランシス・ベーコンシェイクスピアの戯曲の著者だというネタが出てきたところで、ああ与太話なんだなということに気づいた。そして、テンプル騎士団の話が「振り子」にまで繋がる壮大さはなかなか感動的であった。本作を読むと、小説においてストーリーは乗り物で、次の場面を出現させる装置なのだということを意識させる。それくらい機能的に場面場面が移っていく。

これからウンベルト・エーコの小説を読もうという人は、まず『プラハの墓地』から入るのがいいと思う。本作と同じく陰謀論を扱っているけれど、こちらは娯楽性が高くて読みやすい。まるでスパイ小説のような面白さである。