海外文学読書録

書評と感想

チゴズィエ・オビオマ『ぼくらが漁師だったころ』(2015)

ぼくらが漁師だったころ

ぼくらが漁師だったころ

 

★★★

1996年のナイジェリア西部アクレ。9歳のベンジャミンと3人の兄たち(イケンナ、ボジャ、オベンベ)は、近所の川で魚を釣ることに熱中する。しかしその後、長男のイケンナが突然反抗的になるのだった。母親が他の兄弟に理由を問いただすと、釣りの帰りに狂人から不吉な予言を受けたことが原因だという。やがてイケンナとボジャの仲は険悪になるのだった。

オミ・アラは恐ろしい川だ。

わが子に捨てられた母親のように、長いあいだアクレの住人に見放されていた川。しかしかつては清流だったわけで、初めてここに移ってきた人たちはオミ・アラに頼っていた。オミ・アラ川はアクレの町を取り囲み、縱橫に曲がりくねっている。アフリカの川ではよくあることだが、その昔、オミ・アラは神と信じられ、住民に崇拝されていた。(……)ところが、ヨーロッパから植民地主義者たちがやってきて、聖書をもたらしたことで、状況は一変した。信奉者たちは川から引き離されて、ほとんどがキリスト教に改宗してしまい、ついには川を邪悪な場とみなすようになった。こうして信仰の源に泥が塗られた。(23)

グローバル時代にふさわしいとても洗練された小説だった。所々にナイジェリアの政治や風俗がほの見えるところが興味深くて、本作がブッカー賞の最終候補作になったのも頷ける。ブッカー賞の選考委員って、こういう適度にエキゾチックな小説が大好きだから(僕も好きなのでなるべく読むことにしている)。周知のように、ナイジェリアはイギリスの元植民地であり、ご多分に漏れずキリスト教も布教されているけど、完全に西洋化しているわけでもなく、土着の文化と混交して独特の空間を作り出している。登場人物たちは公用語である英語の他に、イボ語やヨルバ語なんかも話していて、外国では複数言語をマスターするのが当たり前なんだなと感心する。本作で焦点になるのは、父親がナイジェリア中央銀行に勤めるエリート家庭になるわけだけど、この辺の階級はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの小説でお馴染みなので親しみやすかった。

物語の序盤に不吉な予言が出てくるところは『オイディプス王』【Amazon】を連想させる。ただ、『オイディプス王』が人知の及ばない運命的な予言だったのに対し、本作の場合は、言葉の魔力に取り憑かれた呪術的な予言という感じがする。つまり、受け取る側が予言という名のネガティブな言葉に過剰反応してしまったというか。予言を気にせず適当にやり過ごしていれば、容易に回避できたのではないかと思ってしまう。ともあれ、共同体から浮いた存在の狂人が予言をして、それが次々と成就しているという設定は、いかにも開発途上国みたいでちょっと興奮してしまう。見下しているように思われたら申し訳ないけど。

この小説はわりとハードな出来事が起こっているのに、語り口がシンプルで素朴なのが印象的だった。一人称の語り手(ベンジャミン)は最初から最後まで冷静で、悲しい場面でも特に感傷的になったりはしない。屈折もせず感情にも流されず、淡々と事実をありのまま述べている。グローバル時代にふさわしい、万人に受け入れられやすい語りと言えるだろう。本作を読んで、小説のカラーは語り口で決まるから重要だなと思った。