海外文学読書録

書評と感想

宮崎駿『君たちはどう生きるか』(2023/日)

★★★

太平洋戦争が始まってから3年。眞人(山時聡真)は母・ヒサコを火災で失った。父・勝一(木村拓哉)はヒサコの妹・夏子(木村佳乃)と再婚、田舎に疎開する。勝一は軍需工場を経営しており、息子に対してデリカシーがなかった。一方、喋るアオサギ(菅田将暉)と遭遇した眞人は、大伯父(火野正平)が建てた塔に入って「下の世界」に誘われる。

漫画的なデザインや細密な動きなど紛れもなくジブリ作品だが、新海誠を経由した現代だといささか古めかしい。特にキャラクターのデフォルメ具合が一昔前という感じがする。たとえば、老婆なんて『千と千尋の神隠し』みたいではないか。とはいえ、現実世界と異世界を行き来するプロットは出色で、異世界の描写は宮崎駿ならではだった。

眞人のミッションは単純で、異世界の冒険を通じて夏子と和解することである。火災で母が亡くなったのも束の間、父は母の妹・夏子と再婚した。夏子は既に父の子を腹に宿している。眞人は疎開先で一緒に暮らすことになるも、継母と打ち解けることができない。それも当然だ。再婚した時期が早すぎるし、そもそも相手は眞人にとって叔母である。叔母が今日から母親になった。そんなこと俄には受け入れられないだろう。

だいたい父・勝一の行動がおかしい。よりによって再婚相手に妻の妹を選ぶとは何事か。姉妹だから外見はそっくりでそれに惹かれるのも分かるが、一方で彼の選択にはグロテスクなものを感じてしまう。配偶者を交換可能なものとして見ていると同時に、夏子を予備のパーツとして利用している。姉妹丼はどこか近親相姦に似たところがある。眞人にとって父の再婚相手が叔母なのはやりきれなかったはずだ*1

なぜ戦時中が舞台なのか。当時は個人の選択や倫理が極端な状況で試される時代だった。映画のタイトルが示す「どう生きるか」という問いかけは、困難な状況下での人間の行動や価値観を浮き彫りにする。眞人が異世界で出会う試練は、戦時中の現実世界の混乱と並行しており、自己のあり方を模索する物語と関わっている。

また、戦時中の日本は全体主義国家であり、個人の自由が抑圧されていた。異世界での冒険は、こうした社会の枠組みに対する個人の抵抗を示している。そして、象徴としての「火」。本作では火(空襲による火災や異世界の炎)が重要なモチーフとして登場する。戦争は破壊と再生の象徴であり、眞人が火災で母を失う経験や、異世界での火のイメージは、彼のトラウマや希望を視覚的に表現している。戦時中という設定は、この「火」の象徴性を物語に組み込むために利用されたのだろう。ヒミ(あいみょん)が火を操る能力を持っているところは注目に値する。

大伯父が創造した「下の世界」はある種のユートピアだが、彼も年老いて死が間近である。世界を存続させるためには、自分の血族を後継者にしなければならない。それが石との契約だった。大伯父は眞人に白羽の矢を立てるも、にべもなく断られてしまう。その後、インコ大王(國村隼)の乱入によって「下の世界」は崩壊した。

当然、我々はこの顛末にスタジオジブリの行く末を重ねるのである。つまり、宮崎吾朗は宮崎駿の後継者になれなかった。スタジオジブリも駿が死んだら終わりだ。このように本作は、一つの時代の終焉を示している。

スタジオジブリよ、今までありがとう。僕は宮崎駿に感謝の念を捧げたい。

*1:と書いたが、これは「もらい婚」という慣習で当時は珍しくなかったらしい。