海外文学読書録

書評と感想

ジュンパ・ラヒリ『見知らぬ場所』(2008)

★★★★

短編集。「見知らぬ場所」、「地獄/天国」、「今夜の泊まり」、「よいところだけ」、「関係ないこと」、「一生に一度」、「年の暮れ」、「陸地へ」の8編。

「そうなんだよ。旅をしてからわかったんだ」画面には古都シエナの風景があった。傾斜のついた広場がピンク色に映し出されている。パグチ夫人は大勢の中に紛れてわからなくなっていた。「いまはもう、どこにでもインド人がいるんだな」(p.54)

以下、各短編について。

「見知らぬ場所」。インド系移民を父に持つルーマは、夫と子供の3人でシアトルに居を構えていた。ルーマの父は妻を亡くしており、今は外国旅行に精を出している。旅行先ではちょっとしたロマンスもあった。そんな父がルーマの家にやってくる。親子といっても所詮は別人で、その距離は歳を取れば取るほど広がっていく。それをひとつの諦念として受け入れつつ、何とか生きていくしかないのだろう。アメリカでも核家族化は深刻なようで、原始的な四世同堂は望むべくもない。そこはちょっと悲しいかなと思った。人は何のために子供を産み、何のために育てるのだろう? 同じ一族が同じ敷地に住むことが、今の社会には必要なのかもしれない。

「地獄/天国」。ひょんなことから、あるベンガル人が叔父さんみたいなポジションに収まる。その叔父さんは「私」の母と親密になるも、結局はアメリカ人娘と結婚するのだった。母は叔父さんとの顛末から一度は保守的になるのだけど、そこから開き直って理解ある親になるのは感動的だった。移民2世はどうしても親世代と価値観の違いで対立する。しかし、本作はその解消の仕方が面白い。「時は最大の癒し手」とはよく言ったものだ。

「今夜の泊まり」。アビットとメイガンは子持ちの夫婦。今回、アビットの旧知であるパムが結婚することになったので、2人で出席する。アビットはかつてパムに気があった。僕は基本的に焼畑農業的な人間関係を心がけているので、こういう気まずい結婚式にはまず参加しない。余計な波風は立てたくないのである。それはともかく、フィクションにおけるセックスはとても綺麗で、何だか別の世界の出来事に思える。本作でもしっかり愛の営みとして描かれているのだった。

「よいところだけ」。姉のスーダが、高校生だった弟のラフールに酒の味を覚えさせる。以後、弟は一流大学に進学するも、身持ちを崩して放校されてしまう。姉は秀才だったが、弟は天才だった。こういう挫折したエリートの話は、とても他人事には思えなくてキュッとする。僕も一歩間違えたら、ラフールみたいな人生を送っていたかもしれないのだから。同時に、長男だった僕はスーダの気持ちも分かるのだ。というのも、僕は弟が小学生だったとき、彼にエロゲをやらせておたくの道に引き込んだのだった。僕がそんなことをしなければ、弟は健全な陽キャとしてその後の人生を送れたかもしれない。ささやかなことが他人の人生に絶大な影響を及ぼす。恐ろしいことである。

「関係ないこと」。ポールとサングとヘザー、3人の男女がシェアハウスに住んでいる。あるとき、サングにファルークという恋人ができた。ところが、ファルークは二股をかけている。ポールは事情を察するが……。3人の中で唯一色恋沙汰と無縁なポール。そんな彼が狂言回しになっているところが面白い。ポールからしたら自分だけ恋人がいない状況には苛立つし、サングからあらぬ誤解を受けるのもとんだとばっちりだろう。こういう『テラスハウス』【Amazon】的な状況って、外から見ているぶんには面白いけど、自分はそれに巻き込まれたくないという思いが強くある。ところで、本作はラストがいい。1人の女を挟んで格闘した男同士の邂逅。

「一生に一度」。連作「ヘーマとカウシク」その1。インドへ帰ったカウシクの一家が、数年ぶりにアメリカに戻ってくる。彼らはヘーマの家に宿泊し、住まい探しをするのだった。こういうのって病小説とでも呼ぶのかな。アメリカに戻ってきた動機がサプライズになっている。それにしても、本作は一人称小説だけど、それまでの三人称小説と比べて格段に読みづらい。特に父母に言及するとき、ヘーマの父母なのかカウシクの父母なのか分かりづらくなっている。

「年の暮れ」。連作「ヘーマとカウシク」その2。カウシクの父が再婚する。再婚相手には幼い連れ子の姉妹がいた。カウシクはあることが原因で姉妹に酷いことを言う。移民文学の場合、家族の軋轢はだいたい世代間闘争みたいな構図になるのだけど、本作では再婚が主な原因になっていて、そこは一般的な文学と変わりなかった。カウシクはもう成人しているとはいえ、まだ学生の身なので、このシチュエーションは確かにきつい。しかしだからこそ、亡霊から解放されるラストに爽快感をおぼえるのである。

「陸地へ」。連作「ヘーマとカウシク」その3。中年になったヘーマとカウシクがローマで再会する。ヘーマは学者、カウシクはカメラマンになっていた。ヘーマはアメリカに婚約者がいるも、カウシクと肉体関係になる。ジュンパ・ラヒリの小説を読んで痛感するのが階級の再生産についてで、高学歴の子供はまた高学歴になるという残酷な現実に打ちのめされる。特に移民だとその傾向が強くなるようだ。この不条理について著者はあまり自覚的ではないようで、読んでいていくぶん不満に思う。