海外文学読書録

書評と感想

エドマンド・グールディング『グランド・ホテル』(1932/米)

★★★★

ベルリンのグランド・ホテルは一流ホテルとして名高かった。落ち目のダンサー・グルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)、経営危機にある会社社長プライシング(ウォーレス・ビアリー)、彼に雇われた秘書フレムヘン(ジョーン・クロフォード)、借金を返すべく泥棒をしているガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)、プライシングの会社の経理係にして余命幾ばくもないクリンゲライン(ライオネル・バリモア)。5人の客が様々な形で交わっていく。

原作はヴィッキイ・バウムの同名小説。

同一の場所を舞台にした群像劇である。この時代にしてはプロットがよく出来ているうえ、俳優もそれぞれ違った調子の演技をしていてキャラが立っていた。グレタ・ガルボジョーン・クロフォードを同一のフレームに入れなかったのは大人の事情らしいけれど、結果的にはこれがプロットの妙味を強調していたと思う。直接顔を合わせていないからこそ、片方からもう片方への影響が一本の線としてくっきり映るのだ。また、恰幅のいいウォーレス・ビアリーと貧相なライオネル・バリモアの対称関係も絶妙で、2人が諍いを起こす場面はヴィジュアル的にインパクトがある。そして、唯一全員と関わっているのがジョン・バリモアで、彼がこのドラマのキーパーソンになっている。何度か窃盗に及ぶもいまいち悪に振り切れない、そんな心優しき泥棒を好演していた。

冒頭で「グランド・ホテル。多くの人々がここを訪れ、何事もなく去っていく」と紹介されるのだけど、ちゃっかり殺人事件が起きているのには笑ってしまう。一旦は混乱するものの、ホテルを出ていくときにはみんな何事もなかったように去っていく。この終わり方がとても良くて、それまでの悲しみを見事に吹き飛ばしていた。浮き浮きしてホテルを出たグルシンスカヤはこの後真実を知って悲嘆に暮れるのだろうけど、この時点では浮き浮きしているので見ているほうも「新たな旅立ち」という印象を受ける。また、事件を経て仲良く旅立っていくカップルは完璧にハッピーで後味がいい。「グランド・ホテル。多くの人々がここを訪れ、何事もなく去っていく」。終わってみれば確かにそんな感じの映画だった。

医者に余命を宣告されたクリンゲラインが、「死を知って初めて人生が分かるのです」と言って大胆な振る舞いをする。死ぬ覚悟があるからこそ強面の雇用主に楯突くことができるし、捨て鉢のようなギャンブルもできるのだ。人生の一回性を意識することは重要で、クリンゲラインの言動には生きることの本質が表れている。人生は一度しかないから他人に媚びてもしょうがない。金と時間は自分のやりたいことに使ったほうが有意義だ。そういう考え方もあるだろう。人生のグランドデザインを練るにはとにかく死を意識するしかない。僕もメメント・モリを念頭に置きながら生活したいと思う。