海外文学読書録

書評と感想

長谷川和彦『青春の殺人者』(1976/日)

★★★★

千葉県。父親(内田良平)のスナックで雇われ店長をしている順(水谷豊)は、恋人のケイ子(原田美枝子)を従業員にしてイチャついていた。ところが、父親からケイ子と別れるよう告げられる。激昂した順は包丁で父親を刺殺してしまうのだった。その後、母親(市原悦子)に死体を見られ、紆余曲折の末に彼女も殺害する。順はケイ子と協力して死体の隠蔽をすることに。

原作は中上健次「蛇淫」【Amazon】。

親殺しを題材にした映画。全体的にはあまり面白くなかったけれど、母親を演じた市原悦子がすごすぎて評点を上げるしかなかった。順と母親のやりとりはもはや不条理演劇である。母親は当初、オイディプス的な構図へ持っていこうと必死に圧をかけていた。ところが、途中からは一転して息子と心中しようとしている。母親ときたらとにかく息子を溺愛していて、見てるほうとしても近親相姦の危機をおぼえるくらいだった。父親の死体が横たわる非日常空間において、殺人犯の息子が霞むほどの狂気を漂わせている。彼女のすごみに圧倒された。

それに対してヒロインを演じた原田美枝子が鬱陶しくて、最初から最後まで喚き倒している。このヒロイン、犬みたいに人懐こいし、男に依存するタイプだし、恋人としては魅力的である。けれども、映画の登場人物としてはストレスを感じさせて許容できない。あんな単調に喚いてばかりではなく、もう少しメリハリをつけてほしかった。

順の境遇は今風に言えば「実家が太い」というやつで、少なくとも食うに困ることはない。住む場所にくわえ、働く場所も親に提供してもらっている。ただその反面、彼には自由がないのだった。恋人との交際さえ好きにさせてもらえず、父親から「別れなければ仕事を取り上げる」と脅されている。つまり、生活の安定と引き換えに自由を失っているのだ。「親殺し」とは息子が自由を獲得するための手段であり、それは往々にして比喩的な意味で行われる。ところが、本作は実際に親を殺すことで、息子であることの痛みを引き出している。順は両親の死体を海へ遺棄するものの、その後は軸が定まらずに迷走し、派手な自殺未遂をやらかしている。そしてその際、親から与えれたスナックを焼失させることで、ようやく自由を手に入れるのだった。本作は甘ったれたボンボンが刹那的な行動をとる内容だけど、その空回りする反抗が時代を象徴しているように見えて興味深かった。

終盤で順が機動隊員に殺人を告白するも、虚言だと思われて軽くあしらわれてしまう。シリアスな殺人犯も国家権力からしたら頭のおかしい子供にすぎない。この場面がまた皮肉に満ちていて、悲劇を喜劇に転換するような面白さがある。本人にとっては切実な悩みでも、赤の他人からすればどうでもいいというわけ。人生の真理ではないか。

野村孝『拳銃は俺のパスポート』(1967/日)

★★★★

殺し屋の上村(宍戸錠)が依頼を受け、島津組の組長(嵐寛寿郎)を狙撃して暗殺する。上村は相棒の塩崎(ジェリー藤尾)と飛行機で高飛びする予定だったが、敵に待ち伏せされて港町の宿屋に逃げ込むことに。2人は給仕の美奈(小林千登勢)に匿われるのだった。その後、依頼主と島津組が結託して上村たちを追い詰める。

ハードボイルド映画。とにかく主演の宍戸錠が格好いい。喋り方や佇まい、苦み走った表情など、いかにも映画スターという趣だった。こういう渋いおじさんは現代ではなかなかお目にかかれないから貴重だ。映画会社によるスターシステムとは要はジャニーズ事務所みたいなもので、良質なタレントをコンスタントに供給するという意味で理に適っている。昔の日本映画は組織的な商業システムによって支えられていたことが分かった。

映像的にはハリウッド映画みたいな密度はないものの、カット割りがよく出来ていてそこは感心した。要所要所で劇伴を流して叙情的な雰囲気を出すところはマカロニ・ウェスタンのようで、これがもっとも効果をあげていたのが終盤の決闘シーンだった。このガンアクションがまた素晴らしい。拳銃を放り出して走りながら散弾銃を撃ち、弾がなくなったところで散弾銃を捨て、その場にあった拳銃を拾ってまた射撃する。攻防一体となったガンアクションに見惚れた。

序盤で上村が敵の殺し屋に狙われるシーンもいい。敵は乗用車の陰に隠れて射撃してくるのだが、そこを上村はトラックで突っ込んで車ごと敵を海に葬り去る。このあっけない幕切れには思わず笑ってしまった。というのも、敵はいかにも手強そうな雰囲気を醸し出していたのだ。これはギリギリの撃ち合いになるだろうと予感していた。ところが、蓋を開けたら上村は銃を使わずに敵を始末している。こういう人を食った展開もまた面白い。

宿の女将がまたいい感じのおばちゃんでインパクトが大きかった。演じているのは武智豊子。本当に宿を経営しているかのような貫禄がある。宍戸錠を始めとした主要人物はいかにも映画的な浮いた存在だったが、この武智はそこら辺にいそうなほどのリアリティがあった。地に足のついたおばちゃんである。

見ていて驚いたのは、食堂に集まった労働者たちが給仕の美奈にセクハラしまくっているところだ。ナンパしたりケツを触ったりやりたい放題である。美奈は手慣れた素振りで彼らをあしらっていた……。この光景がいかにも昭和で、ハラスメントとは最近の概念なのだということが分かる。正直、見ていて居心地が悪かった。

本作は上質のハードボイルド映画でとにかく宍戸錠が格好良かった。宍戸錠は元々コメディが得意な俳優なのだという。渡り鳥シリーズの敵役でだいぶ評価されていたようだ。また、貫禄を出すために豊頬手術をしたことでも有名である。彼の出演作品をもっと見てみたい。

寺山修司『田園に死す』(1974/日)

田園に死す

田園に死す

  • 菅貫太郎
Amazon

★★★

15歳の少年(高野浩幸)は恐山の麓で母親(高山千草)と2人で暮らしている。本家には若い人妻(八千草薫)がおり、少年は彼女に惚れていた。少年は母親に嫌気が差していて、この田舎から逃げ出したいと思っている。少年は人妻と駆け落ちの約束を取り付けるのだった。そして、成長して映画監督になった元少年(菅貫太郎)は自分の過去を映画にしており……。

母殺しを題材にした自伝的映画。同名の歌集【Amazon】も出版されている。

ケレン味のある映像が特徴で田舎の閉塞感がよく表現されていたが、今見るとよくある実験映画としか思えない。時代を経てだいぶ色褪せてしまったのではないか。

とはいえ、随所に光るシーンはある。たとえば、3Pしてる現場を見た少年が「地獄だ」とつぶやくシーンや、修学旅行みたいな学生集団が実は年寄りだったシーンなど、秀逸なイメージは確かに存在している。また、雛壇が川を下る映像もインパクトがあったし、新宿で母親と対峙するラストも鮮烈だった。しかし、全体としてはやはりよくある実験映画という印象は拭えず、時代と寝た映画は評価が難しいと痛感したのだった*1

時計が重要なモチーフとして使われている。少年の家の柱時計は壊れて音が鳴り続けている。そして、サーカスの一座はそれぞれ懐中時計を所持しており、少年はそれを羨ましがっている。少年は自分用の時計を欲しがるものの、母親がそれを許さない。今のまま柱時計を共有することを強いている。実のところ、この柱時計は母親の象徴で、少年が自分の時計を所持することは母親からの自立を意味している。終盤で柱時計を抱えた少年らを映しつつ、「死んでくださいお母さん」をBGMとして流す場面は示唆的である。つまり、序盤で柱時計が壊れていたのは、母親の不快さを少年目線で表現していたのだ。四六時中音が鳴り続けるのは鬱陶しいことこの上ない。このように本作は時計を通じて母殺しの欲望を描いている。

大人になった元少年は、少年に母親を殺させたがっている。「時間は待ったがきかない」と少年に言い放ちながらも、過去をやり直したいと願っている。映画として対象化した過去はたとえ事実に基づいていても虚構であり、どうせ虚構ならもっと大胆に踏み込もうという腹なのだ。そこから一捻りして新宿に繋がるラストが秀逸で、本作は部分的に優れたイメージを表出する瞬間芸的な映画になっている。

庵野秀明と幾原邦彦は寺山修司に影響を受けているらしいが、本作を見てなるほどその通りだと納得した。庵野秀明は1960年生まれ、幾原邦彦は1964年生まれである。60年代に生まれたクリエイターはみんな寺山の影響を受けているのだろう。庵野も幾原も鮮烈なイメージを表出する名人だが、アニメという媒体のせいか寺山より格段に洗練されている。この系譜は時代を経て大衆性を獲得したようだ。

*1:個人的には『スター・ウォーズ』【Amazon】を正当に評価できないのと同じ問題である。あれはあの時代に作られたからすごかったのだろう、みたいな。

岡本喜八『殺人狂時代』(1967/日)

★★★★

大学講師の桔梗信治(仲代達矢)が、ひょんなことから大日本人口調節審議会なる秘密結社に命を狙われる。彼は記者の鶴巻啓子(団令子)と車泥棒の大友ビル(砂塚秀夫)を仲間に加え、結社の刺客たちと対決するのだった。やがて黒幕の溝呂木省吾(天本英世)が登場。溝呂木には桔梗を狙う理由があった。

原作は都筑道夫『なめくじに聞いてみろ』【Amazon】。

赤ジャケの『ルパン三世』【Amazon】みたいなノリで面白かった。天本英世演じる溝呂木を始めとして、奇怪な人物ばかり出てくる。殺し屋との対決がいちいち楽しいし、ストーリーも意外性があって満足した。

日本政府はオイルショック後の1974年に少子化を目指す政策を打ち出していたらしい*1。本作の大日本人口調節審議会はその先駆けになるのだろう。人口の選別が優生思想を元にしているため、必然的にナチス・ドイツにまで話が及んでいる。本作は一見すると巻き込まれ型スリラーっぽいけれど、登場人物の正体が分かって全貌が明らかになったときは思わず膝を打った。誰も彼もその行動には理由があったのだ。全体としてはお馬鹿映画っぽい骨子でありながらも、それを支える土台は緻密に組み立てられている。本作は俳優の怪演ぶりやセットのキッチュさばかりに目が行きがちだけど、原作ものなだけあって全体像がよく練られていて感心した。

溝呂木のマッド感が凄まじい。人生最大の快楽は殺人と断言し、どんな人間も内心では互いのことをくたばればいいと思っている、と喝破する。実に正しいではないか。また、人間の歴史で偉大な人物はキチガイとか、戦争による大量殺戮はこの上なく楽しいとか主張している。Twitterでつぶやいたら凍結されそうな危険思想だ。そんな彼は確信型犯罪者であり、殺し屋組織のドンとして君臨している。溝呂木は存在自体が荒唐無稽でほとんど漫画の登場人物だけど、それを律儀に立体化したところが良かった。

敵の女霊媒師(川口敦子)が大友を追い詰めながらもパンチラを気にしてビルの窓から落下したのが可笑しかった。また、富士山麓自衛隊演習場で桔梗が不発弾を目の当たりにした際は、「俺たちの税金だ」と軽口を叩いている。さらに、本作はサービスシーンもちらほらあって、団令子がヌードを披露したり、桔梗らが2人組の水着ギャルと組んず解れつしたりもする。まさに娯楽映画のお手本だった。

本多猪四郎『ガス人間第一号』(1960/日)

★★★

銀行で強盗殺人事件が発生。警視庁の岡本警部補(三橋達也)は日本舞踊の家元・藤千代(八千草薫)に目星をつける。藤千代の家は発表会に人が呼べないほど没落していたが、急に金回りがよくなった。藤千代の家を捜索したら盗まれた金が出てきたため、警察は彼女を逮捕。間もなくして、警視庁に水野(土屋嘉男)という男が尋ねてくる。彼こそが真犯人のガス人間だった。

円谷英二特技監督を担当している。

特撮のことはよく分からないけれど、CGのない時代にしては頑張ってると思う。特に水野の顔がぼやけてガス人間になるところが印象的だ。合成による映像にしてはさほど違和感がない。ここから『ウルトラQ』【Amazon】や『ウルトラマン』【Amazon】に繋がっていったのを考えるとなかなか興味深い。

ガス人間が改造人間であるところは『仮面ライダー』【Amazon】を先取りしていて、こういうのは特撮SFのお約束なのだろう。普通に可哀想な境遇である。水野は高卒で、当初は航空自衛隊に入ろうとしていた。ところが、体格が良すぎて落とされてしまう。仕方なく図書館の職員になって糊口をしのぐことになった。要するに、彼は不本意な人生を送っていたわけだ。その後、博士に騙されてガス人間にされてしまうのだけど、そこから平然と強盗殺人を行うあたり、人間としてのタガが外れた感じがある。水野は自分が騙された経験から、「みんな他人を犠牲にして生きている」という人生観を抱くことになった。ところが、そんな彼も人を愛する心を持っていて、藤千代に対して歪んだ献身をしている。彼女を助けるためなら銀行強盗もするし、己の正体を警察に明かすことも厭わない。このように異形の中に潜む人間性が本作の肝になっている。

とはいえ、脚本がどうにも安っぽいのは否めなくて、すべてはテンプレの範囲内に収まっている。衝撃のラストでさえ逸脱はない。そんな本作における最大の見所は、藤千代が舞台で「情鬼」を舞う場面だろう。ここはおよそB級映画とは思えない高級感があって、藤千代を演じる八千草薫の美しさが際立っている。この場面だけやたらと絵になっていて感動した。

それにしても、この時代はまだ田舎道が舗装されてなくて、藤千代の自宅付近が砂利道なのには目を疑った。登場人物の喋り方も現代人と違っている。一方、新聞社では女性記者(佐多契子)が活躍していて、女性の社会進出が見て取れる。