海外文学読書録

書評と感想

閻連科『丁庄の夢』(2005)

★★★

丁庄の村は売血によってエイズが蔓延していた。もともと売血は政府の主導によるものだったが、村の有力者が私的に商売したのが原因でエイズが流行することになる。村人たちは熱病に苦しみながら新薬の到来を待ちわびていた。事の次第を12歳で死んだ少年が物語る。

埋葬とは残された人々の面子を立てることだ。(p.263)

旧版で読んだ。引用もそこから。

村人の大半がエイズに冒されて小学校で集団生活をする。彼らは熱病によって衰弱しており、近いうちにみな死ぬ運命にあった――。物語の始めから終末的状況になっていて、どうなることやらと内心訝しんでいたけれど、案に相違してドラマティックな筋書きが用意されていた。病人なのに村の権力を握ろうとしたり、余命僅かなのに禁断のW不倫を犯したり、要は人間の生々しさが感じられて、中国の庶民は極限状態にあってもぶれないものだと感心する。

エイズが蔓延する原因になった村の有力者(語り手の父でもある)がとても悪どくて、彼が売血の商売をしたせいでみんな死に瀕しているのに、そいつときたらまったく反省していない。村人に問い詰められても堂々と自分の正当性を主張している。そのうえ、今度は政府が支給する無料の棺桶をよその村に転売することで大儲けしていた。こういう不正がまかり通るところが中国社会の闇であり、本作は国全体の縮図として寓意的に描いているのだろう。中国人はとにかくたくましく、そこらの資本主義の人間よりもよっぽど貪欲で恐ろしい。

丁庄の村は死と隣り合わせにある。それゆえに中国人の死生観が垣間見えて興味深かった。といっても、「生」に関しては特に言うことはなく、特筆すべきは「死」にまつわる慣習である。中国ではどうやら土葬が一般的なようで、そのせいかみんな棺桶にすごく拘っている。どういう木材でできているかは言わずもがな、ものによっては内側の装飾がやたらと凝っていてびっくりする。テレビ・冷蔵庫・洗濯機といった家電から、銀行や高層ビル群といった建物まで、あたかも死後の世界で快適に暮らしやすいように彫り物が施されているのだ。確か共産党って宗教や迷信はご法度ではなかったか? それでもなお、庶民は死後の世界を信じているのだろうか? さらに、終盤では死人同士の結婚まで描かれている……。本作を読んだ限りではこの辺の事情がよく分からなかったので、是非とも中国人に聞いてみたいと思った。

ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』(1957)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

 
オン・ザ・ロード (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-1)

オン・ザ・ロード (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-1)

 

★★★

1947年。大学生で作家のサル・パラダイスは、新しく知り合ったディーン・モリアーティの破天荒ぶりに憧れていた。サルはディーンに会いにニューヨークを出発してヒッチハイクでアメリカを横断する。その後、車で何度か横断を繰り返し、最後は大陸を縦断してメキシコへ行く。

アメリカの男と女はいっしょにいてもひどく淋しい時を過ごしている。すれてくると、ろくに話もしないでいきなりセックスに入りたがる。まともに口説こうともしない――魂について率直に語り合うべきだ、人生は神聖で、一瞬一瞬、貴重なのだから。(p.81)

河出書房新社の世界文学全集で読んだ(引用もそこから)。文庫が出ていたとは知らなかったよ。

本作はビート・ジェネレーションを鮮やかに描いた小説で、面白い面白くないというよりは、時代を刻印した書物としてただひたすら興味深かった。ちょうど石原慎太郎の『太陽の季節』【Amazon】みたいな感じ。ディーン・モリアーティのモデルがニール・キャサディで、カーロ・マルクスアレン・ギンズバーグ、オールド・ブル・リーがウィリアム・バロウズだと知っていると、その筋の人には面白さが増すかもしれない。

かつてロスト・ジェネレーションというヘミングウェイフィッツジェラルドが属していた世代があって、彼らの生態は『移動祝祭日』【Amazon】という本に記されていて大変読み応えがあったけれど、本作も同書と少し似た匂いがあると思う。何というか、現代とは一味違う文化の香り・風俗の香りがして、何よりみんな若くて放蕩三昧っていうのが重要なファクターになっている。ビート・ジェネレーションという一角の人物たちの交友には胸をときめかせるものがあって、酒と女とジャズとドラッグ、そして路上(ロード)というシンプルな世界にも惹かれる。彼らは貯金などせず、その場しのぎの仕事をしてあちこちを彷徨う。アメリカは壮大な田舎町なのだ。インドア派の僕には路上(ロード)の魅力がいまいちよく分からなかったけれど、昔はこういう牧歌的な雰囲気のなかで作家も生きていたんだなと思った。今よりも世界がずっとシンプルだった時代の話。僕にとってはお伽噺のようであった。

賈平凹『老生』(2014)

★★★

(1) 国共内戦。父を亡くして孤児になった老黒が、地元の有力者に引き取られる。彼は共産党員の従兄と再会し、挙兵計画に参加する。(2) 土地改革。村では地主から貧農まで階級が設定され、村人たちはそれぞれ境遇が変わる。(3) 文化大革命人民公社の役人が、村の革命と生産に血道をあげる。(4) 改革開放。薬草掘りの戯生が、ひょんなことから村長に抜擢される。

「あのな、人間は死んだらそれでしまいかね?」と、やつが訊いた。

「そいつは、亡くなるかどうかじゃな」と、わしが言った。

「死ぬことは亡くなることじゃなくて、亡くなることは死ぬことじゃないのかね?」と、やつが言った。

「死ぬとじき忘れられる人間がおるが、それは死んだら亡くなったわけじゃな。死んでも覚えてもらえる人がおるが、それが死んでも亡くならぬことじゃ」と、わしが言った。(p.34)

最近の小説らしいページターナーだったけれど、長大な時間を扱っているわりには大きなうねりがなくて物足りなかった。

物語は4話構成になっていて、一つ一つは中編程度の長さである。舞台は秦嶺山脈の別々の田舎町。共通して出てくる人物は数人いるものの、さほど深い関連性はなく、それぞれ独立した中編として読める。1話1話は中国の庶民の生活が面白くてぐいぐい引き込まれるけど、全体を通して何か大仕掛けがあるのかと期待すると肩透かしを食ってしまう。通読して印象的だったのは、1話目で活躍した遊撃隊がその後の話に伝説的存在として語り継がれていることくらいだろうか。

とはいえ、中国の庶民の生活が生き生きと描かれているところは特筆すべき点で、彼らについて知りたければ本作を読むのが手っ取り早い気がする。かつて人間と獣の関係だったものが、人間と人間の関係になった非情さ。かと思えば、男も女もバイタリティに溢れていて、みんなしたたかに生きている。そして田舎のせいか、苛政のわりにはそれなりに暮らしが成立しているのが意外だった。昔ベストセラーになった『ワイルド・スワン』【Amazon】とは大違いでびっくりする。

18世紀イギリスの保守政治家エドマンド・バークは、『フランス革命省察』【Amazon】という著書で、前年に起きたフランス革命を批判したけれども、彼だったら中国共産党の革命も全否定したと思う。というのも、革命は社会の変革が急すぎてかえって混乱が起きてしまうから。政治とは本来、駄目な部分を徐々に改めていくことでゆるやかに社会を変えていくべきなのに、革命では今までの秩序が一気にさかさまになって別の不公平を生み出してしまう。本作の土地改革なんかはその典型的な例で、富裕層を地主に認定して土地を収奪する様は醜いとしか言いようがない。

ところで、本作は食べものがやたらと美味そうだった。たとえば、銭銭肉。雄ロバの生殖器を煮込んで48種類の調味料に漬け込んだもので、精力増強の効果があるという。それと、ピリ辛腸汁(豚の腸入り辛いスープ)も食してみたい。どちらも国共内戦期に出てきたきりだけど、今でも中国に行けば食べられるのだろうか? 中国料理は漢字を見ただけで美味さが伝わってくるから不思議である。

スティーヴ・エリクソン『ルビコン・ビーチ』(1986)

★★★★

(1) 刑務所から仮釈放されたケールは、図書館で働くことになった。ある日、彼は女が男の首をナイフで切断するところを目撃する。(2) 南米のジャングルで生まれたキャサリンは、村人たちの不信を買い、勝手に賭けの対象にされる。村人たちは賭けに負け、キャサリンは船乗りに連れて行かれることに。(3) 第二次世界大戦前。ジョン・マイケルが今まで誰も見つけなかった新しい数を発見する。その後、彼は数奇な出会いを果たすのだった。

私はアメリカに捕まったんだわ、とキャサリンは思った。アメリカでは人びとは自分の顔を知っていて、その顔は自分のものだと信じているんだわ。最初はおそらく彼らの顔も夢の奴隷だったのでしょう。やがて、彼らの顔が夢を奴隷にするのではないかしら。(p.237)

スティーヴ・エリクソンの小説を読むのは実に7年ぶり。本作は著者の長編第2作で、例によって妄想上のアメリカを大胆な構成で書いている。ただ、先に『黒い時計の旅』【Amazon】や『エクスタシーの湖』【Amazon】を読んでいたせいか、リアルタイムで読んだ人が味わったような衝撃は残念ながら味わえなかった。やはり作家別に読むのだったら、デビュー作から順番に読んでいくべきだ。その作家の試行錯誤の過程が分かるから。いきなり代表作から飛びつく読み方は良くない。どうしても遡及的な読み方になってしまう。

本作は3部構成になっている。冒頭に記したあらすじだけを見ると別々の物語に思えるが、実は3つとも奇妙な形で繋がっている。その繋がり方が本作の肝といってもよく、敢えて辻褄を合わせない微妙な重なりが幻想小説みたいで何とも言えない感慨を引き起こす。さらに、作品の雰囲気も幻視者らしく独特で、第一部のディストピアっぽいアメリカは、トランプ政権下の現代アメリカと奇しくも呼応しているような気さえする。つまり、ラジオの所持が禁止されていて、反政府組織みたいなのが存在して、アメリカ1とアメリカ2という分裂さえ仄めかされる……。こういう小説を80年代に書いたところが著者のすごいところで、カルト的作家という呼称がここまでふさわしいのも珍しい。偶然ではあるにしても、現代においてアクチュアルな話になっている。

アメリカの作家はアメリカのことを書きたがる、みたいなことを誰か(柴田元幸か都甲幸治のどちらかだったと思う)が書いていた。本作はそのケースにもろに当てはまっていて、その動機はどこから来るのだろうと不思議に思った。ヨーロッパやアジアに比べて歴史が浅いからだろうか。スケールが大きいところは特筆に値する。

ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』(2005)

★★★

(1) コメディアンのダニエルは世相を皮肉ったショーで一世を風靡し、さらには映画監督としても成功する。金持ちになった彼は貪欲にセックスを求めるのだった。(2) 異常気象によって人類の大半が死滅した未来。ネオ・ヒューマンのダニエルが、自分の遺伝的先祖であるダニエルの人生記に注釈をつける。

〈人生記〉について、具体的なきまりはない。人生のどの時点から書きはじめてもよい。たとえば絵画を観賞するときに、どこから見はじめてもいいのと同じだ。重要なのは、徐々に全体が見えてくることだ。

素粒子』【Amazon】の系譜に連なるSF要素を取り入れた長編。作風としてはまだ一皮剥ける前といった感じだろうか。とはいえ、『地図と領土』に出てくる芸術家、『服従』に出てくるイスラム問題といった、後の作品で重要になる要素は散りばめられている。また、作中でエロヒム教会という新興宗教が大きく取り上げられているけど、これは『ランサローテ島』に出てきたラエリアン・ムーブメントをモデルにしているので、同書を先に読んでいると理解が楽になるかもしれない。

本作では老いによって性的魅力も性的能力も減退し、若い娘たちと弾けることができなくなる悲しみが描かれている。日本人の読者としてはこの辺の機微がいまいちピンとこなかった。というのも、日本だと若い娘とキャッキャウフフしたければキャバクラに行けばいいし、それ以上のサービス、すなわちセックスをしたければソープランドに行けばいいから。金さえあれば質の高い性的サービスは買えるのである。問題は「愛」だけだが、こればかりは時間をかけて築き上げるしかない。だからこの部分の喪失感はよく理解できる(それにしても、自殺することはないだろう)。ともあれ、セックスの問題に関しては風俗産業に乏しい欧米社会ならではという感じがした。

あと気になったのは、ダニエルに趣味らしい趣味がなかったことだ。娯楽に溢れた日本では、スポーツからアニメまでいくらでも趣味に没頭して気を紛らわせることができる。ところが、ヨーロッパには何もないから愛とセックスに明け暮れるしかない。そして、そういった空虚な生活を送っているから怪しげな新興宗教にはまってしまう。これを読んで、実はおたくって人生の勝ち組ではないかと思った。愛とセックスから遠く離れていても、彼らは人生が充実している(ように見える)。ダニエルもせっかく金を持ってるのだから、すべてを使い切る勢いでやりたい放題やればいいのだ。一介の趣味人としてはそう考える。