海外文学読書録

書評と感想

川島雄三『洲崎パラダイス 赤信号』(1956/日)

★★★★★

蔦枝(新珠三千代)と義治(三橋達也)のカップルが金に困って赤線地帯「洲崎パラダイス」の入口に流れてくる。蔦枝はその昔、洲崎パラダイスで娼婦をしていたのだった。蔦枝は居酒屋で、義治は蕎麦屋で働くことに。蔦枝は新しい生活に順応するものの、義治は持ち前の甲斐性なしが祟ってどうにもならない。2人の仲はギクシャクするのだった。

原作は芝木好子『洲崎パラダイス』【Amazon】。

離れようとしても離れられない、磁石のような男女関係が半端なかった。甲斐性なしの義治なんて捨てられて当然だと思うのだけど、女心とはそう簡単には割り切れないようだ。しかも、蔦枝が戻ってくるタイミングが滅茶苦茶悪く、義治が更生して真面目に生きようとしたまさにその時なのだからたまらない。2人がよりを戻したのは果たして良かったのか……。ともあれ、こうやって流れに流れていくところはいかにも昭和の男女である。

一度色街に染まった女は生涯その気質が抜けないようだ。居酒屋で働き出した蔦枝はとんでもなく接客が上手い。男性客に愛想を振りまき、親しげにボディタッチをし、まるでベテラン店員のような客あしらいである。その熟れた接客はおそらく色街で培ったのだろう。蕎麦屋の出前すら満足にできない義治と較べて何と立派なことか。当然、そんな蔦枝がいつまでも場末に燻ってるわけもなく、成金の強者男性に気に入られて囲われることになる。未練たらたらで探し回る義治。思えば、2人の関係がここで終わっていればなんぼか良かった。それぞれカタギの生活が送れたのだから。特に義治はあのまま蕎麦屋で働いて玉子(芦川いづみ)と一緒になったほうが幸せに暮らせただろう。ところが、蔦枝が帰ってきたことでそれも果たせず。またデラシネ生活に戻ることになる。

全体として義治は蔦枝に振り回されっぱなしである。離れたときも戻ってきたときも、義治は蔦枝の気分に付き合わされている。蔦枝が巻き起こす風になびいているだけという印象だ。しかし、本作にはこういった男女関係がいくつか出てきて、2人を重層的に取り巻いている。逐電した夫が帰ってくるも悲しい別れをする女将。娼婦を身請けしようとするもまんまと逃げられる客。男も女も相手に振り回されるばかりでその関係は片務的だ。対等とは程遠い。これはつまり、男女関係とは振り回す個体と振り回される個体、双方の合体によってできているのだろう。「惚れた弱み」とはよく言ったもので、好きである限りは相手についていくしかないのである。

洲崎パラダイスはカタギの世界と断絶した「向こう側」の象徴だ。蔦枝も義治も決して足を踏み入れない(カメラも中を映さない)。しかし、蔦枝は元々そこで働いていたわけで、言ってみれば「向こう側」の住人である。一度色街に染まった女は生涯その気質が抜けない。色街には戻れず、かと言ってカタギにもなれず、辺獄でどっちつかずの人生を送る。少なくとも蔦枝はそう運命づけられているわけで、2人の今後が気になる。