海外文学読書録

書評と感想

ポール・ハーディング『ティンカーズ』(2009)

★★★

80歳のジョージ・ワシントン・クロスビーは退職後に時計修理の仕事をしており、現在は死の床にあった。彼が子供の頃、父のハワードは貧しいセールスマンをしていたが、ジョージが11歳だった1926年のクリスマスイヴ、癲癇の発作を起こして倒れてしまう。介抱するジョージの指をハワードが噛んだため、ハワードの妻キャスリーンは密かに夫を精神病院に入院させようとする。それを知ったハワードは家出をするのだった。

塗料がはがれかけている安物の皿を太陽が照らす――俺は鋳掛け屋(ティンカー)だ。月は葉のない木立の巣のなかで輝く卵だ――俺は詩人だ。精神病院のパンフレットが化粧箪笥の上にある――俺は癲癇病み、狂人だ。俺は家をあとにしている――俺は逃亡者だ。(p.131)

ピュリッツァー賞受賞作。

このブログでも何度か書いている通り、アメリカ文学アメリカを語るか家族を語るかのどちらかが多いけれど、本作は後者に属する小説だった。のっけからジョージの余命があと8日と宣告されていて、それが段々とカウントダウンしつつ、父親ハワードのエピソードが挿入される。基本的には全知の語り手による三人称視点だけど、時々ハワードの一人称で語られる部分もあって、この辺は変幻自在という感じだ。他人の人生について覗き見するような楽しみがある反面、現代文学らしいギミックが効いていて、「何を語るか」と「どのようにして語るか」が程よく両立している。普通のやり方では語らない、ちょっと気の利いた小説だった。

ハワードと隠者ギルバートのエピソードが印象に残っている。森の中に住むギルバートは、虫歯になってハワードにそれを抜いてもらう。実はこのギルバート、ナサニエル・ホーソーンと大学の同級生だったことが自慢なのだけど、もしそれが本当だとしたら、120歳くらいじゃないと辻褄が合わないとハワードに一蹴される。実にアメリカ人らしい大法螺だと思っていたら、ハワードの家にあった『緋文字』【Amazon】の本扉にギルバートへの献辞が書かれていた……。これはいったいどういうことだ、と狐につままれたような気分になった。

2つ上の段落で書いたように、本作には他人の人生を覗き見するような楽しみがある。虚構の中に生き生きとした人間、ひいてはそれを支える世界が存在しているのが堪らないというか。しかも本作の場合、本人の人生のみならず、そのルーツである父親の人生にまで遡っていて、通常よりも奥行きが深い。思うに、レイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドの私立探偵小説が好きな人は、意外とはまるのではなかろうか。特にロス・マクドナルドの小説では、事件を通して家族の歪みを明るみに出すという文学と親和性のある内容になっている。秘密を知りたい、物語を知りたい。こういう好奇心ってどうしようもない人間の性なのだろう。余談だが、この覗き見趣味を露悪的に描いたのがジェイムズ・エルロイで、その情熱は他の追随を許さないものがあって引き込まれる。

本作はラストが良かった。ジョージもハワードも死の運命からは逃れられないのだけど、その中でも最上の結末で、これはハッピーエンドと言ってもいいくらいだと思う。とても清々しい気持ちになった。

ジェイムズ・ボールドウィン『もう一つの国』(1962)

★★★

マンハッタン。ハーレムでジャズバンドのドラムを叩く黒人ルーファスは、南部からやってきた白人レオナと肉体関係を結び同棲する。やがてルーファスはレオナを虐待、発狂した彼女は家族によって南部に連れ去られる。失意のルーファスは投身自殺をするのだった。その後、ルーファスの友人にして白人のヴィヴァルドは、ルーファスの妹アイダと恋仲になる。さらに、彼らの友人にして白人のキャスは、作家になった夫のリチャードと上手くいかなくなり……。

「たいした愛だな」と、リチャードは言った。

「リチャード」彼女は言った「あなたとあたしは、お互いに相手を傷つけあった――難度も何度もね。ときには意識しないでそうなったこともあるし、ときには意識してやったこともあった。あれは、お互いに相手を愛していたから――愛していればこそ――じゃなかったかしら?」(p.104)

黒人と白人が普通にカップルになっているところと、何人かの男性陣がバイセクシャルで男と寝ているところが衝撃的だった。60年代のニューヨークってこんなに進んでいたのだ。公民権法が制定されたのが1964年だから、公民権運動はまだ存在していたはずなのに、本作にはそういうのが欠片も出てこない。仲間内では白人と黒人が対等に付き合っており、人種絡みの災厄は外側からたまに来るくらいである。

まず黒人のルーファスと恋仲になる女が、人種差別が色濃く残る南部出身の白人レオナで、ここでは黒人が白人に対して加害者になっている。すなわち、ルーファスがレオナを虐待して発狂させている。最近は奴隷制度下のアメリカを舞台にした小説ばかり読んでいたので、この構図はなかなか新鮮だった。仮に南部でこんなことをしたら、ルーファスは近隣住民によって吊るされていたことだろう。

ルーファスが自殺した後は、白人のヴィヴァルドが黒人のアイダと付き合う。こちらはなかなか複雑な心理状態が展開していて、ヴィヴァルドは自分が黒人を愛しているのは軽蔑されないためではないかと悩んでいるし、アイダに至っては人種問題をこじらせ、白人への憎しみをヴィヴァルドにぶつけている(実はルーファスもレオナに同種の憎しみをぶつけていたのだった)。2人に重くのしかかっているのがルーファスの死で、これが終盤まで尾を引いてそれぞれを悩ませている。

エリックというゲイの俳優がフランスから帰国してからは、同性愛も重要なファクターになる。エリックはかつてルーファスに自分と関係するよう持ちかけていたが、すげなく断られた過去を持っていた。ヴィヴァルドはエリックと寝ることで、自分の性的嗜好は異性愛なのだと確認する。一方、エリックは人妻のキャスと寝ることで、自分は同性愛者なのだと自覚することになる。エリックにはフランスに残してきた恋人の男がいて、彼がアメリカに来るのを待っていた。

というわけで、ここまで人種間の恋愛、同性間の恋愛が描かれた小説を読んだのは初めてのような気がする。しかも、60年代にこういう小説が書かれていたことに驚いた。結局のところ、我々は恋愛なりセックスなりを通して自分の知られざる一面を確認するわけで、その回路を通常よりも複雑にしたのが本作なのだろう。僕は本作を読んで、自分が保守的な人間であることを自覚した。人種間や同性間の恋愛に衝撃を受けているようではまだまだ甘ちゃんである。すごい世界を垣間見てしまった、というのが率直な感想だ。

ホメロス『オデュッセイア』(750BC?)

★★★

トロイア落城から10年。イタケーの領主オデュッセウスは、漂流先のカリュプソーの島に抑留されていた。その間オデュッセウスの屋敷には、妻のペーネロペイアの元に求婚者たちが押し寄せ、好き勝手に飲み食いして浪費を強いている。オデュッセウスの息子テーレマコスは、アテネ―女神の助けを借りて父の行方を探しに旅に出る。一方、オデュッセウスはゼウスの使者ヘルメースの来訪によってカリュプソーから解放されるのだった。オデュッセウスは船でイタケーに帰ろうとするが……。

あの武士(さむらい)のことを話してくれ、詩の女神(ムーサ)よ、術策(てだて)にゆたかで、トロイアの聖(とうと)い城市を攻め陥(おと)してから、とてもたくさんな国々を彷徨って来た男のことを。たくさんなやからうからの住む町々や気質を、それでともかく識りわけ、海上でもさまざまな苦悩を、自分の胸にかみしめもした。自分自身の命も救い、仲間の者らの帰国の途(みち)もとりつけようとつとめるあいだに。(p.7)

集英社版世界文学全集(呉茂一訳)で読んだ。引用もそこから。なお、原文は叙事詩(エポス)だが、翻訳は散文である。同じ呉茂一が訳した岩波文庫の旧版は韻文らしい。新版の松平千秋訳は散文のようだ。

本作は紀元前750年頃の作品だけど、ほとんど近現代の物語と遜色がないくらいの構築力があって驚いた。神々が人間社会に介入したり怪物が出てきたりするのを除けば、リアリズムと言っていいほど条理に適った話であり、登場人物の行動原理は現代人が読んでも納得がいくものになっている。同じ神話的な物語でも、たとえば『やし酒飲み』のようにはぶっ飛んでない。物語の後半は、イタケーに戻ったオデュッセウスがいかにして求婚者たちを排除するかに焦点が絞られており、その段取りは実に論理的である。広間にあった武器を用心のために他所へ隠すくだりがあるし、浮浪人イーロスとの決闘や弓矢試しの段は、オデュッセウスオデュッセウスであること、すなわち彼が英雄であることを示すエピソードになっている。さらに、前半でオデュッセウスが冥界に行って死者と話す場面があるのだけど、これが後半の伏線になっているのには大いに感心した。実に周到に組み立てられた物語ではないか。こんな太古の物語が現代でも通用するくらい考えて作られているのに驚いたし、よくこんな完全な形で現代にまで伝わったものだと感動してしまう。

オデュッセウスが求婚者たちを殺戮する章はすこぶる爽快で、人が大量に死ぬ場面でこんなにスカッとするとは自分でも思わなかった。溜めて溜めて溜めて……ようやくぶっ殺す! って感じなのだ。こういう読者を焦らしてカタルシスを増大させるような手法も注目すべき点だと思う。オデュッセウスって智将のイメージだったけど、実は武勇にも優れているところがポイント高い。

今回の読書で痛感したのは、名作はあらすじだけで分かった気になっちゃいけないということだ。これを読まなかったらオデュッセウスの名前の由来が「憎悪、敵意を受けるもの」だと分からなかったし、また、ここまで構築力のある物語だということも知らないままだっただろう。古典を読んでおくと近現代の文学の読解が楽になるので、これからも積極的に読んでいこうと思った。

2017年に読んだ266冊から星5の12冊を紹介

このブログでは原則的に海外文学しか扱ってないが、実は日本文学やノンフィクションも陰でそこそこ読んでおり、それらを読書メーターに登録している。 今回、2017年に読んだすべての本から、最高点(星5)を付けた本をピックアップすることにした。読書の参考にしてもらえれば幸いである。

評価の目安は以下の通り。

  • ★★★★★---超面白い
  • ★★★★---面白い
  • ★★★---普通
  • ★★---厳しい
  • ★---超厳しい

 

翻訳家の柴田元幸が「21世紀に書かれた最高のアメリカ小説」と評していたが、これは僕もまったく同感。文学史に間違いなく残る傑作である。奴隷制度下のアメリカ南部を舞台にした小説で、善悪が並立する世界をありのままに叙述している。善を称揚するのでもなければ悪を非難するのでもなく、ただストイックに世界を構築しているところにすごみがある。

pulp-literature.hatenablog.com

 

世界貿易センターで綱渡りをしたフィリップ・プティを中心に、地上で暮らす人々の営みを順番に描いていき、彼らのエピソードが思わぬところで繋がることで、世界は回っているのだと示している。構成が素晴らしい。現代文学の一つの達成を見ることができる。

pulp-literature.hatenablog.com

 

池上彰は似たような本を粗製濫造しているようなイメージがあるが、森達也と対談した本書はマスコミの問題に鋭く斬り込んでいて読み応えがある。特に西山事件とウォーターゲート事件の違いについて指摘したくだりにははっとした。池上彰の本は、講義録や対談に良書が多いような気がする。現代史や時事問題を解説した本よりも、こういう掘り下げた本をもっと書いてほしい。

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レアード・ハント『ネバーホーム』(2014)

ネバーホーム

ネバーホーム

 

★★★

南北戦争インディアナ州で夫と農場を経営するコンスタンス・トムソンは、夫のバーソロミューの体が弱いため、彼に代わってオハイオ州北軍に入隊する。コンスタンスはアッシュと名前を変え、男のふりをして兵隊生活を送ることになった。訓練の後、隊は南に向けて出発する。

「もう体の芯までくたびれています」このやりとりがあった日の晩、わたしは夫にあてて書いた。

「帰る気になったら帰っておいで」と夫は返事をよこした。「ぼくたちはまたやりなおせるよ」

「帰る気にならないの、まだ」とわたしは書いた。

「ぼくは待つよ、ずっと」と夫は書いてきた。

それから大佐が命令を発して、わたしたちは行軍をはじめ、キレイな水の帯をわたって、ひくいミドリの山をこえ、わたしの地獄のはじまりにはいっていったのだ。(p.91)

レアード・ハントの小説を読むのは『インディアナインディアナ』【Amazon】以来、およそ11年ぶりになる(こういうときブログに読書記録をつけておくと便利だ)。

本作はコンスタンス(アッシュ)の一人称で語られるのだけど、全体的にやたらと平仮名を多用していて、柴田元幸の翻訳も新たな境地に達したのだなと思った。この人は最近『ハックルベリー・フィンの冒けん』【Amazon*1も翻訳したから、その影響があるのかもしれない。Amazonで『ハックルベリー・フィン~』の訳文が一部抜粋されているけど、こちらも平仮名を多用した独特の翻訳だった。柴田元幸はいったいどこへ向かおうとしているのだろう? 翻訳小説ファンとしてはその動向に目が離せない。

コンスタンスの語りは無垢な田舎者という感じで、作中では相当酷い目に遭っているのに感情的にならない。何かにつけて夫に手紙を送ったり、死んだ母親のことに思いを馳せたりしている。その一方、セリフはけっこう荒っぽいし、行動に至っては容赦なく人を殺していて何とも粗暴だ。この小説は語りと言動のギャップがすごくて、無垢と粗暴、2つの相反する要素が同居しているところが面白い。一人称小説のマジックを見せられたような気分になった。

ストーリーは男装の麗人が戦場で活躍するのを予想していたけれど、そこはいい意味で裏切ってくれた。まあ、普通はそういう単純な話にならないよねって感じ。捕虜になって風癲院で過酷な仕打ちを受けるのはとても理不尽だったし、終盤では銃撃戦の末に悲しい出来事に直面していて、コンスタンスの人生は何なんだろうと思った。この小説、第3章からはロードノベル風になっていて、「ペネロペがいくさに行ってオデュッセウスが家にのこる」という作中人物のセリフの通り、どこか『オデュッセイア』【Amazon】を連想させる。ラストの悲劇はそこを逆手にとっているのだろう。『インディアナインディアナ』同様、文章に独特の味わいがあって心に残った。

*1:「冒険」が「冒けん」になっているところがポイント。