★★★★
モデルのジーン・デクスターが何者かに殺害された。ダン・マルドワーン警部(バリー・フィッツジェラルド)と部下のジミー・ハロラン刑事(ドン・テイラー)が事件を捜査する。聞き込みをしていくうちにフランク・ナイルズ(ハワード・ダフ)が参考人として浮上、彼を足掛かりにして真相を究明する。
オールロケだからこその迫力は間違いなくあって、劇中に2回ある追跡劇はセット撮りでは不可能な臨場感だった。警察による地道な捜査を描きつつ、スリリングな追跡劇を見せ場にするところは『フレンチ・コネクション』のよう。ナレーションがやや過剰だったが、この時代にこのような映画を撮ったことは素直に讃えたい。
ニューヨークには800万の人が暮らしていて、この事件も物語の一つに過ぎない。そういうコンセプトで作られている。劇中で「人々に照明が当たってしまう」のが殺人事件と説明されるが、これが笠井潔の大量死理論みたいで面白い。つまり、二度の世界大戦における匿名の死に対抗すべく、「人々に照明が当たってしまう」物語を作ったのだ。ミステリとは人をモノとして扱う反面、通常だったら顧みられることのない市井の人々にスポットを当てる。モノと人間性が綱引きをしている文学様式であり、せいぜい三面記事に乗る程度のちっぽけな死に意味が与えられるのだ。たとえば、本作の殺人事件も客観的に見ればありふれた事件に過ぎない。ニューヨークにはこれ以外にもたくさんの殺人事件があるだろう。しかし、敢えてこの事件にスポットを当てることで、遠くにいた被害者や関係者に近寄っていく。彼らを匿名の存在から記名の存在に変えていく。そういったミステリの様式に自覚的なところが面白かった。
ナイルズを足掛かりにして、医師のストーンマンが被疑者として浮上してくる。面白いのは、彼が女に惚れて道を外したところだ。我らがストーンマンは女に引き摺られるようにして犯罪に手を染めている。しかも、その女は冒頭であっさり殺されたジーンだった。だからストーンマンを籠絡した彼女の魅力は視覚的に一切伝わってこない。我々はただ男の心情を推し量るのみである。とはいえ、男だったら誰しも女に狂わされた経験があるはずだし、フィルム・ノワールにはそういったファム・ファタールがたくさん出てくる。本作は観客の想像力を喚起させることで、目に見えない情痴の関係を立ち上げているのだ。考えてみたらこれもなかなかすごいことで、ポストモダンにおけるデータベース消費を先取りしている*1。我々は医師が狂うほどの女を先行するデータベースから引っ張り出してモザイク状に組み立てているわけで、この脚本はだいぶ野心的ではないかと思った。
逃走中のガルツァ(テッド・デ・コルシア)が盲人とぶつかり、その勢いで盲導犬に噛みつかれる。彼は逃れようとして発砲するが、その発砲音で警察に居場所が分かってしまう。ここもよく出来たシナリオだと思う。また、ガルツァが螺旋階段を下って逃走する様子を真上から映したショットが出てくるが、こういったクリシェも逃走劇を盛り上げている。クリシェにはクリシェになるだけの理由があると感心した。