★★★★★
実業家のミルドレッド・ピアース(ジョーン・クロフォード)が不動産業のウォーリー・フェイ(ジャック・カーソン)を自宅に呼び出して幽閉する。自宅にはミルドレッドの夫モンティ・ベラゴン(ザカリー・スコット)の死体が転がっていた。ミルドレッドはウォーリーに罪を被せようとするも失敗。代わりに前夫のバート・ピアース(ブルース・ベネット)が逮捕される。警察署でミルドレッドはこれまでの経緯を語るのだった。
原作はジェームズ・M・ケインの同名小説【Amazon】。
当事者が事の顛末を告白する『深夜の告白』形式だが、筋書きがだいぶ捻っていて驚いた。倒叙ミステリはこの時点で既に高い完成度を誇っていたようである。「女嫌い」というフィルム・ノワールの様式を踏まえながらも、嫌悪の対象を当初の予想からすり替える手並みが鮮やかだった。こういうのにころっと騙されてしまうのだから、僕も素朴な観客なのだろう。本作は二重の意味で「女の業」が描かれていてすごい。女嫌いが見たらますます女嫌いになりそうである。
フィルム・ノワールにしてはやけに教訓的で、子育ての困難が大きなウエイトを占めている。ミルドレッドには2人の娘がいるが、長女・ヴィーダ(アン・ブライス)にだけ目をかけて次女のことは蔑ろにしていた。まもなく次女は病死し、ヴィーダにだけ愛情を注ぐようになる。この愛情がまた厄介だった。娘の幸せのためにと贅沢をさせ、甘やかしていたのである。その結果、ヴィーダは歪んだ価値観の持ち主になった。自分は末端の労働者になりたくない。金に不自由せず贅沢に暮らしたい。ヴィーダはティーンエイジャーであるにもかかわらず、金を手に入れるためなら手段選ばない女になっていた。実際、彼女は妊娠したと嘘をついて男から金を巻き上げている。ミルドレッドの子育ては失敗したのだ。そして、この失敗が巡り巡って悲劇に直結するところが教訓的で、何とも言えない後味を残している。
一度は娘を突き放したミルドレッドだが、しばらくして自分の元に取り戻そうとする。これが見ていて痛々しい。どんなに歪んでいてもミルドレッドにとっては可愛い娘なのだ。娘に贅沢をさせるために愛してもいない金持ちと結婚するのだから狂っている。娘への愛はそれくらい盲目だった。何がミルドレッドを突き動かしているのかは分からないが、娘の願いを何でも叶えようとする彼女の愛もまた歪んでいる。本作が怖いのは、母も娘も違った意味でモラルから逸脱しているところだろう。ミルドレッドがだいぶ揺れ動いているのに対し、ヴィーダはまったくブレていない。むしろ、ティーンエイジャーとは思えないくらい貫禄がある。本作はこの親子関係が強烈だった。
前夫のバートはモラハラ気質だったが、話が進むごとにいい人になっていき、ラストでヒーロー(?)の地位を勝ち取っている。この変貌ぶりがすごかった。本作で一番おいしいキャラが彼だろう。彼だけが成長している。
なお、『映画 視線のポリティクス』に興味深い論考がある。
本作の製作事情についても触れられているので是非読んでもらいたい。