★★★
第二次世界大戦中のイギリス。スティーブン・ニール(レイ・ミランド)が精神病院を退院し、2年ぶりに娑婆に出る。ロンドン行きの列車を待つ間、近所の慈善バザーに参加し、ゲームの景品だった巨大ケーキを手に入れる。ところが、そのケーキのせいで命の危険に晒されるのだった。色々あってニールは、ウィリー・ヒルフェ(カール・エスモンド)、カーラ・ヒルフェ(マージョリー・レイノルズ)の兄妹と知り合う。
原作はグレアム・グリーンの同名小説【Amazon】。
ヒッチコック風の巻き込まれ型スリラーだが、ヒッチコックのような楽観がなく、だいぶシリアスな作風になっていた。ケーキというマクガフィンがあり、さらにカーラという美しいヒロインもいるのに、手触りが全然違う。また映像も独特で、特に降霊会のシーンで顕著なように、ドイツ表現主義みたく影を強調している。周知の通り、フィルム・ノワールはヨーロッパからの亡命ユダヤ人によって支えられていた。フリッツ・ラングもまたナチスから逃れてきた亡命ユダヤ人である。そういった出自の差がヒッチコックとの差になっているのだろう。同じ巻き込まれ型スリラーでもここまで作風が変わるのかと感心した。
敵が誰だか分からない、というのが不安を感じさせる大きな要因である。敵はスパイなのか、犯罪組織なのか。動機は戦争絡みなのか、他の何かなのか。実は原作がグレアム・グリーンの小説なのである程度察しはつくが、それでも劇中で敵がはっきりと姿を見せないから不安だ。敵の実体が何なのか分からない。目的が何なのかも分からない。主人公はただただ巻き込まれており、彼なりに正体を探っていく。しかし、それでも途中までは掴みどころがない。ニールはどう対処すればこの危機から抜け出せるのか。まるで出口のない迷路を彷徨っているようで不安である。
ニールは我々と同じ一般人で、ジェームズ・ボンドのような英雄ではない。危機対処のプロフェッショナルではないから、降りかかる火の粉を払うのも一苦労である。本作がスリリングなのは、そんな等身大の男が主人公だからだろう。ニールはこの苦難を通じて男性性を試されている。本物の男ならどんな危機だって乗り越えられるはずだ。本作に一縷の望みがあるとしたら、彼が潜在的に持つ男としての底力である。もし力を発揮できなかったら命を落としてしまう。洗練された社会に生きる現代人がこんな目に遭うことはまずないわけで、ホラー映画よりもよっぽどホラーだと思う。
戦時中が舞台なのでドイツ軍による空襲がある。それが物語に暗い影を落とすと同時に、プロット上で重要な役割を果たしているのが面白い。空襲がニールの命運をがらりと変えてしまった。また、ニールは2年間精神病院に入っていた。物語の中盤でその理由が明かされるが、これがまた意外である。なぜそんな罪を犯しておいて精神病院なのだろう? 普通は刑務所ではないか? イギリスの法制度がおかしいのか、あるいは本作の設定がおかしいのか。いまいち判断がつかない。
というわけで、同じ巻き込まれ型スリラーでもヒッチコックと作風が全然違うのが興味深かった。